今回訪れたボルドーの学会で,20数年ぶりの再会。埼玉県川口市の日本語学校で共に過ごした元同僚と。あまりの嬉しさに抱き合って大はしゃぎしたけど,写真撮るの忘れた。ツーショット写真,撮れば良かった。



2人ともそこが初めての有給の教室授業で,それぞれ別の知りあいからの紹介で,一緒に働くことになりました。まだ
日振協(日本語教育振興協会)もなく,それこそ自宅で料理教室や英語塾を開くノリで日本語学校が開校できたという,なんとものどかな時代。そこに入学すれば就学ビザ(当時)が出たのだから,すごいよね。



『みんなの日本語』の前の,『新日本語のきそ』の前の,『日本語のきそ』がメインテキスト。



東京ではちょっと名の知れた書店が母体で,校舎はその倉庫を急ごしらえで学校に仕立てた建物。授業料は,33333円/月。源泉徴収されるわけでもないのに,なぜか3並びという。校長は,そういうセンスの商売人でした。「学生さんは,毎月,
授業料を払ってくださる顧客なんだ。なぜ顧客のご希望に応えられないんだ」と出席簿の改竄を命令されたり,いろいろな宗教の学生がいるというのにクリスマスパーティーをするという上層部を止めたり。



そんなのまだ良い方で,ここには書けないようないろんな事件があり(刃傷沙汰とか),生命の危険を感じたことも数回。学生のほうも逞しくしたたかで「入管のビザ延長想定問答集」を作って,クラス内で共有していたり。


当時のエピソードを書き出したら,まだまだキリがなく出てきます。


私は9-12時の朝クラス担当で,彼女は13-16時の昼クラス担当。ほとんど毎日お昼ご飯を一緒に食べて,教材研究,教案検討,愚痴・・,本当にいろいろなことを語り合いました。「このテキストそのまま教えていても,学生たちが生きていく力にはならないよね」と言いながら,副教材を作ったり,教室活動案を交換したり。

当時はまだ「協働」とか「ピア」とか「アクションリサーチ」とか,そんな洒落た用語はなかった(知らなかった)けれど,「いま思うと,毎日やっていたのはそれだったよね」と,今回しみじみ。



一緒に働いていたのは,わずか1年間。そのあと私は名古屋へ,彼女はヨーロッパへ。



メールやfacebookでつながってはいたけれど,会えたのは本当に
20数年ぶり。でも,いろいろなプログラムやお知らせで彼女の名前を目にするたびに,「彼女ががんばっているのだから,私もがんばらなきゃ」といつも力をもらっていた。



そのあと,大学の非常勤講師として日本語を初めて教えたとき,「授業は9時からで,テキストはxxxです」とガイダンスで説明したら,授業初日,全員が自分で買ったテキストを持って9時に教室にいた。そのときの驚きといったら!(「大学で日本語教えるのって楽だな」って,そのとき思った。)



私にとっては原点ともいえる,川口市での経験。でも,実は公的には抹消された経歴です。なぜかというと,大学院を終わって初めて就職するときに,高卒以降のすべての在学,在職証明書を出すようにいわれたのですが,すでにその学校は閉校しており,関係者の連絡先もわかりませんでした。「日本語学校ブラックリスト」として,週刊誌に載ったこともあるぐらいですからね(自慢じゃないけど)。



だから,在職証明書など取りようがない。それを就職先の担当者に伝えたところ,「じゃ,この経歴はなかったことに」と,目の前で履歴書に取り消し線が引かれた。もうね,目が点。だからその後,公的な書類には載っていないのです。そうであっても,私の原点。