宇和島城登城 | たしゃうの宴

宇和島城登城

天赦園→宇和島城


天赦園からは雨の中の移動になりました。。
あまりの大雨だったので、自転車での移動は断念し、天赦園の門でしばし雨が小降りになるのを待ちました・・・しかし全くやむ気配がなく、また宇和島城天守閣の入場終了時間がせまっていたので雨の中移動開始。入り口までは1km少々なのでなんとかなるかと思いましたが・・・ただの雨→バケツをひっくりかえしたような雨になってしまい、途中の宇和島バスセンターで雨やどり。あとでテレビで確認したところ、このときの雨は1時間に40ミリ前後の大雨でした;;

宇和島城北東の桑折長屋門15:00頃到着。

たしゃうの宴-宇和島城北東登城口


大雨の中、天守閣めざして階段を登ります。晴れていればなんということのない石段ですが、雨のため滑りやすくなっていて、あちこち水溜りというか小川というか・・・・・・ができています。

途中で城山博物館や長門丸方面へ分岐していますが、今回の目的は天守閣と本丸跡なので寄っていません。


たしゃうの宴-井戸丸までの階段

井戸丸を通り過ぎてさらに登ると三の門。ここの行き止まりが帯曲輪です。ちょうど天守閣の真北にあたります。裂命星砲の設置場所候補その1。


たしゃうの宴-三の丸方向?帯曲輪

さらにあがっていくと二の丸跡。天守閣の北西にあたります。裂命星砲設置場所候補その2。


たしゃうの宴-三の門跡


たしゃうの宴-二の丸跡

少し高い階段を上りきると本丸。


たしゃうの宴-本丸への階段


28巻P77 廃墟と化した宇和島城はもはや人と会する場所ではない。その本丸跡に立って、沈痛な思いで宇和島湾を見つめているのは嶺次郎だった。

奥に見えるのが天守閣。この天守閣の向かって左側が北にあたります。裂命星砲設置場所候補その3。

たしゃうの宴-本丸広場

28巻p49 炸裂したのは《破魂波》だった。石垣が崩れ、城の瓦が粉々になって吹き飛んだ。

28巻P67 息も荒く、よろめいた信長は、血塗れの手を石垣について体を支えた。

28巻P45 追いすがる小十郎の声を背に受けながら、政宗は砲台が設置された北の曲輪へとやってきた。重臣たちが居並び、その中央に弟の小次郎が待っている。


さて、先ほどから出てきている裂命星砲、いったいどこに設置されたんでしょうか。

海側に砲台が設置されているので、海側の大半が木に隠れてしまっている帯曲輪は候補からはずれるでしょう。ただ、破魂波によって崩された「石垣に手をついた」にあてはまるのもこの帯曲輪。

次に二の丸跡ですが、ここは海に最も近い開けた場所なので、いかにも大砲が撃ちやすそうな場所です。ただ、ここは石垣らしいものがありません。本丸に続く大きな階段とその周辺の石垣が盛大に崩れていた場合は候補になるかと。

3番目の天守閣すぐ北の空き地は海に面しているといえそうな範囲が狭いです。裂命星砲は1基だけで、しかも構造自体は簡素で小さそうなので候補にあげられそうです。けれど1番目2番目と違って、晃焔が「崩れた石段を駆け上がってきた」石段にあたりそうな場所からは死角になります。ですので、候補からは外れるでしょう。


28巻P78 いま駆け上がってきた本丸下の広場に、黒い鉄の残骸が無残な姿を晒している。「アマホメちゅう裂命星の欠片を敵に使われた。~


停戦後、本丸下の広場に残骸がありましたが、これは撃ったそのまま残骸が放置されていたのか、それとも移動されたものなのかは不明。伊達陣営は移動するだけのマンパワーも失われていた可能性があるので、そのまま放置であるなら、信長と政宗と小次郎の対決現場も二の丸跡、ということになります。



27巻P159 宇和島城に戻った政宗を待っていたのは、弟の小次郎だった。

28巻P74 全てが終わり、宇和島城に入城した高耶たち赤鯨衆を、その男は屈辱を露にするでもなく卑屈になるでもなく、粛然と迎えた。


たしゃうの宴-宇和島城全景


桜の名所として有名ですね。

写真では大きく写っていますが、ワタシの安いデジカメでも1画面に収まってしまうほどこぢんまりとしたお城です。コンパクトですけれどしかし名城と呼ばれるにふさわしい美しさです。