天赦園 | たしゃうの宴

天赦園

新内港→天赦園


14時頃天赦園到着。

新内港から自転車で移動したものの雨になってしまいました。以下写真はあまり鮮明ではありません;; 講和協議に向かう途中で高耶さんが拉致された現場も寄りましたが、丸穂トンネルのエントリーでまとめて書きます。


23巻P143 その名を「天赦園」といい、初代藩主の父の遺詩からとったものだという。竹が多種植えられているのは藩主家の家紋にちなんでいる。(中略)初代藩主は伊達秀宗。


たしゃうの宴-天赦園入り口

天赦園自体の見頃はおそらく藤の季節です。新緑が美しく、また入り口の菖蒲も咲いている頃です。
竹は孟宗竹をはじめ19種類植えられているそうです。

ワタシが行った9月は竹も藤も芝生もみな緑が生い茂っていますが、色とりどりというわけにはいきませんでした^^;


たしゃうの宴-天赦園入ってすぐの藤棚


27巻P157 片倉小十郎が知らせを聞きつけ、天赦園に息切らせて駆けつけた時、政宗は居室にいて、正座の姿勢で床の間に向かっていた。

春雨亭は少々手狭なので、普段政宗がいたのは潜渕館のほうかと。


たしゃうの宴-潜渕館

23巻P145 その面影を瞼に浮かべて政宗は藤棚のもとへと歩いた。


天赦園にいた正宗たちはどこで話をしていたんでしょうか。建物らしきものは春雨亭と潜渕館と、お手洗いのある月見亭と、池の側にある休憩所くらいです。天赦園入り口の案内板にある孟宗竹の生えている場所は藤棚からは遠い場所で。後で写真を見返すと、潜渕館のそばに太い竹が写っていましたが、これは孟宗竹ではなく泰山竹のようですし。



たしゃうの宴-月見亭


たしゃうの宴-春雨亭

ここの池には藤の橋がかかっています。パンフレットでは上り藤と表示されているかな? 9月では葉っぱしかないけれど、花が咲いていたらそれは見事だろうなあ。


たしゃうの宴-潜渕館から池の東屋方面
たしゃうの宴-蘇鉄山付近から藤橋を見る

いろいろな種類の植物が植えられていて、個人的には寄せ植えの中を歩いているようで楽しかったです。熊本の水前寺成趣園は開けた空間を楽しむ庭園ですが、天赦園は植物園のようです。ぜひもう一度花の季節に来てみたいです。

宇和島決戦が行われたのが3月。逆算すると前年の11~12月に政宗は宇和島に上陸しています。天赦園はその頃だいぶ枯れ木の様相になっていたことでしょう。決戦の頃にようやく梅や桃が咲いていたかな。


26巻P223 天赦園のすぐ横にある藩主邸である。宇和島城から戻ったその足で、政宗は脇目もふらず、客人の待つ「菊の間」へと向かった。


藩主邸と銘うったところは残念ながら発見できず。ただ、天赦園横に料亭がありましたので、藩主邸のモデルはここではないかと。時間と予算に余裕があれば中を確認したかった・・・菊の間は果たしてあるのでしょうか?
高級料亭で全席個室だとかしゃぶしゃぶだとかの文字にひるんでしまいましたが、あとでHPを見るとランチメニューは意外とリーズナブルです。お昼ここで食べればよかったなあ;;


たしゃうの宴-天赦園側から見る料亭さがの


28P95 屋敷の玄関付近でちょうど階段を下りてきた嶺次郎と出くわした。(中略)ただちに足摺に戻り<裏四国>を成す」(中略)嶺次郎は急ぎ足で駐車場へと向かっていく。


たしゃうの宴-天赦園駐車場

車が停まっている奥が料亭の玄関。天赦園と料亭の駐車場は兼用になっています。