臼杵城跡 | たしゃうの宴

臼杵城跡

旧稲葉藩主下屋敷→臼杵城跡


27巻P96 直江はとるもとりあえず宿舎を出ることになった。門外で車に乗り込もうとしてばったりと嶺次郎に出会った。

27巻P110 ふと明けかけの空を見上げていた嶺次郎は、何を思ったか立ち上がり、玄関の方へと歩きだした。


臼杵城跡への道。屋敷を出て左手へいく嶺次郎&尾行する中川先生目線。下屋敷から歩いて100mほど東へいくと臼杵城入り口です。

たしゃうの宴-尾行する中川


27巻P54 清正に連れられて、嶺次郎がやってきたのは町の真ん中にある臼杵城址だった。

27巻P110 嶺次郎は城址の鐙坂をあがっていく。どこまでいくのかと思ったら、そのまま本丸まで歩いていくではないか。


臼杵城跡は今では市民の憩いの場になっています。案内板も質素で、あまり観光地!というアピール感はありませんが、ゆっくり見て回るにはいいところです。

上に向かう坂が鐙坂。清正と嶺次郎と中川が上ったかな。なだらかな階段が続きます。ちなみに直江は車でグラウンドに行っていると思われますのでこの坂は上っていないかと。


たしゃうの宴-臼杵公園 たしゃうの宴-臼杵公園鐙坂


27巻P56 その先の臼杵護国神社の右手に、宗麟の一生を表したレリーフがある。


上の写真の、鳥居の上にある建物が門。その門をくぐると左手に臼杵護国神社。右手は二の丸グラウンドへ行く道です。神社に参拝して二の丸グラウンドへ向かいます。途中に大友宗麟のレリーフと国崩しのレプリカがあります。
たしゃうの宴-臼杵護国神社


宗麟のレリーフ。いすに座って鉄砲を立てている宗麟がいます。背景には外国の旗・帆船・大砲などが描かれています。

たしゃうの宴-大友宗麟レリーフ

27巻P56 「こっちに『国崩し』のレプリカがある。おまえに見せておこう」

27巻P188 「ずいぶんシャレた大砲じゃないか。いかにも洋モノって感じすんね。本当にこんなんで威力あんね」


国崩しは描写にもありますが3メートル足らずのスマートな外観です。中世ヨーロッパの戦争漫画を想像していると、予想を裏切られる細身な大砲です。筒の内経は10センチほど。実際に使用した場合の弾はソフトボールくらいの大きさだったかと。まあ嶺次郎たちは念を込めていましたが。いずれ本物の国崩しを見に靖国神社に行って、写真を撮らねば。


たしゃうの宴-国崩し横から たしゃうの宴-国崩し

フェンス越しに見下ろせる臼杵の町は、市の南側です。山と東九州自動車道が見えます。



27巻P54 二の丸跡は今はグラウンドだ。

27巻P96 二の丸跡のグラウンドに降り立ったヘリに直江は乗り込んだ。


二の丸グラウンドは右腕がさつまいもになった高耶さんを助けるために直江が飛び立った場所。この日はゲートボールをしている老人ではなく、野球の練習をしている少年?たちがいました。鐙坂からだと歩いてここまでくることになりますが、別ルートで車で出入りできる場所があります。


たしゃうの宴-臼杵公園二の丸グラウンド

二の丸をさらに海側へ進んでいくと天守閣跡、その奥に本丸があります。天守閣跡は今は更地です。たしゃうの宴-臼杵城天守閣跡


27巻P54 本丸との間に空堀が残っている。


空堀は草が生い茂っています。当時は海の上にお城がありましたので、満たされていたのは海水?

たしゃうの宴-臼杵公園空堀



27巻P54 清正は本丸の先端の「亀の首櫓」と呼ばれるところから港のほうを見やった。

27巻P110 嶺次郎は本丸の崖の先端に立った。東側を望むと、埋立地の向こうに海が望める。

27巻P111 中川は羽織の袖に腕を入れながら、柵に腰掛ける嶺次郎を見て少し驚いた。


本丸跡は散歩道の奥なので、午後からくるとやや寂しい印象があります。朝日が当たっているとまた違うんでしょうね。柵に腰掛けている嶺次郎と、開けた東の空と海がよく見えるところということで、早朝密会の現場はここかと。

たしゃうの宴-亀の首櫓?


27巻P77 臼杵湾の海上には、数隻の霊船の姿があった。津久見島の陰に錨泊する霊船団は、赤鯨衆の室戸水軍のものである。

たしゃうの宴-津久見島


本丸跡のフェンスから見えるこんもりした山型の島が津久見島。臼杵城側から死角になる、この島の裏側に兵頭たちが待機していました。

ところで・・・敷地内の案内板に「亀の首櫓」の語句は出てくるのですが、現場にそのような看板はなく、どこが亀の首櫓かはわかりません;; 描写からするとおそらく嶺次郎と中川が朝焼けを見た場所と同じだと思われますが。


たしゃうの宴-臼杵公園卯寅口

本丸から海側の門に下りていったのですが結局わからずじまい。