西夏、と聞いてすぐ思い浮かぶものは西夏文字。

高校時代世界史をやってた人ならすぐわかると思うけどすんごい複雑な漢字。

この西夏文字を守りたい、モンゴルのハンに服属している部族の皇子ユルールのお話が

伊藤悠先生の新作『シュトヘル』です。



↓こーんな文字 およそ6000文字ほどで訳されたのは結構最近

山田・ハプスブルク・佐々木=フォン・マルコのブログ-西夏文字



伊藤悠先生といえば遅筆で有名な佐藤大輔が原作の『皇国の守護者』を描いて一躍高名になった男性ですが

この話は割愛。



西夏の歴史は今から1300~1400年前、大体西暦650年頃、中国が唐という国だった頃にさかのぼります。

ちなみにこの頃の日本はまだ大和朝廷の頃ですね。

他の地域なら、アラビアで622年マホメッドがメッカを追われてメディナに聖遷、632年の彼の死亡後30年間の正統カリフ時代あたり。

ヨーロッパじゃメロヴィング朝フランク王国、イギリスではまだ七王国時代です。



唐という国は非常に異民族に強い王朝だったので(三国志で有名な孔明や曹操の戦術を改良したといわれる名将李靖がかっこええ)、中国周辺異民族は続々唐に帰参していきます。

その中、羌族内で部族タングートが勢力を拡大していましたが、その長、拓跋赤辞が唐に帰参。

唐の国姓である<李>姓を賜ります。

ここで、高校の勉強を思い出してください。


拓跋、って姓知ってるぞ。

あれ?でも確か北魏の国姓だったような・・・

北魏ってでも鮮卑族じゃん・・・・んん?


とまあおいらもそう思ったのですが、WIKI先生によると、

拓跋軍団の活躍に肖った説がどうも濃厚なようです。



さて、名目上唐国の家臣となったタングートですが、しばらく後、大帝国唐が斜陽を迎えます。

874年、黄巣の乱

塩の密売商人らが起こしたこの乱は結局鎮圧されましたが、唐はなんかもういっぱいいっぱいになっちゃいました。

この反乱のときに活躍したタングートの拓跋思恭が夏国公・定難軍節度使に任じられ、西夏の芽がちょっと出てきます。

夏国公・定難軍節度使って長ったらしいですが、ようは節度使に任じられた、ってとこがポイントですね。



らめぇえええええええええええってなっちゃった唐ですが907年 節度使朱全忠に滅ぼされます。

ちなみにこの朱全忠なる男は元の名前を朱温といい黄巣軍の武将だったんですが唐に寝返り、反乱鎮圧に大功を挙げて、全忠、という名を賜ります。

なんという名前負け、いや勝ちなのか? まぁ唐はALL忠義男によって滅んだわけです。

唐建国初の名将、名臣たちは地面の下でどう思ったんでしょうね。


朱全忠はその後 後梁という国を建てますが15年ほどで滅び、50年ほど中原は混乱期に入ります。

五代十国時代という奴です。

950年ごろ後周という国が立って名君のもと統一するかと思いきやその名君が若死して

ガキンチョが跡を継ぎ回りはがっかり。まだ戦乱が続くのか・・・という感じです。

そんな声に押された趙匡胤がガキンチョから帝位を奪い宋を建国します。

この趙匡胤もなかなかの英傑なんですが、もういろいろ疲れたのでまた今度。



次は五代時代の混乱をほぼ収めた趙匡胤の政策の話から。