最近、母からの小言が気になる(笑)
お姑さんの指摘も気になる。(娘や旦那さん伝えに聞く(笑))


なんだろ?

ホントに気にしてなかったら耳に入らない、すぐ忘れちゃう。


のに、今は気になるの!


なんだろ?





そして、頭の中で「私の言い分」が次から次へと出てくる。
「何でお母さんはそこにこだわるの?」
「放っておいてよ!」
「私の好きにさせてよ!」


もう頭の中は「どうやって私の言い分を通そうか」そのことばっかりになる(笑)


ノートにつらつらと母への文句を書いた。
それを眺める。


私は母に私の言い分を通したい。つまり、私は正しい=私を認めて欲しい。

なんだよね。


でも、母には母の「正しい」がある。
母の「設定」があって、母の「最善」がある。


私の「より良い人生」と母のそれとは違うんだ。

そこを認めよう、って思った。


私は母や姑に、「私のこと認めて欲しい」って思ってる。
同時に
母や姑にはそれぞれの設定があり、最善がある。

そこを認める。



母や姑に認めてもらえないと、自分を認めないっていう設定も、

外側の承認を得ないと自分を認めないっていう「わざわざ難しいハードル」を掲げるのも

もうやめよう。


私と母や姑は違う人間だ。
私は母や姑と、自分の設定が違うことを問題にしている。

だから問題にするのやめればいい。


私と母や姑は違っていい。

ていうか、それこそが個である証なんだ。





タイムリーに流れてきたさきこさんのブログ
↓↓↓


私と相手が分離している事に感謝。

 

 

きっと、生きている喜びってそれだけだなぁ。

 

いろんな「問題」はこの「分離」をハードにして「繋がれた」ことを楽しみ、盛り上げるためのもの。

 

私はその「問題」そのものを楽しむのは辞める、と決めていて。

 

「問題」に持ってかれない。

 

「問題」に持ってかれて苦しんで頑張って解いて「楽しむ」んじゃなくて、

 

この「問題」があるのはなぜ?どうして「問題」に思う?

どうしてこの問題を解かなきゃいけない?それ本当?本当に楽しい?

本当はどうしたい?

この問題を解かずに済む方法はなんだろう?と考える♡

なぜこれが問題なのかに気づいたら、問題解くのをやめる♡

 

 

解かなくていい、それが設定変更♡

解決しなくていい、それが設定変更♡

 

 

それは、この「分離を喜びとして受け入れる事」でもあるなぁと思いました。

 






なるほどな~って思いました。いつも気付きをありがとうございます❤️
「受け入れる」ってこういうことなんだ。。



お母さん、お姑さん、私と違っていてくれてありがとう。


夕焼けがとっても綺麗でした。