・内を見る力

 

 人間は自己の内に無限を蔵し、発掘し得る無限の可能性としてそれを内に貯えているのである。

 

五官の感覚は外を見るために発達した器官であるが故に、内を見る力を欠いて、

 

自己の実相の無限力を見る事が出来ないで、恐怖心や遅疑の心に満たされるのである。

 

自己を内観することによってのみ、実相の無限を自覚する機会を得るのである。

 

内観しない者にとっては、実相を観る道は完全にふさがれて、

 

打ち勝ちがたき鉄壁として「物質の世界」が立っているのである。

 

 多くの人達は、この「物質の鉄壁」の中に閉じ込められて自由を失って、

 

恰も囚人の如き自由無き生活を送っているのでる。

 

「働けど働けど尚我が暮らし楽にならざり」と言う啄木の如き嘆きは、

 

此の「物質の鉄壁」を乗り越える事の出来ない人々の嘆きを代表しているのである。

 

物質の鉄壁は外に向かって打ち破ろうとしても打ち破る事のできない壁である。

 

ただ内観によってのみそれを超え得る。その内観こそ神想観である。