・人間智慧を加えず
人間の幸福と言うものは人間自身がつくるのではないのである。
人間自身の知恵巧者によって幸福が創られると思って色々と人間智を 働かせて工夫することを「旧約聖書」においては、
アダムとイブとが「智慧の木の実」を食べてエデンの楽園を追放されたと言う心象的神話によって描かれているのである。
幸福というものは、日本語のその語源の「サイワイ」が「先(さき)延(は)え」とあるのでも判るように、
神の生命(智慧、愛等を含む)が前方へ延長してきたのが幸福(さいわい)であるのである。
エデンの楽園に人間が生活していた時には、アダムとイブとは裸であったと聖書に記されているのは、
人工を加えず人間の智慧巧者で徒らなる工夫を加えなかったという意味であるのである。
人間の愚にもつかない智慧えお加えずに、其の儘、神の計画に随順するとき、
その人は本当の「幸福世界」(エデンの楽園)に住むことができるのである。