そして、 「実相の完全さ」 を自覚するために、

 

生長の家では独特の座禅瞑想法である神想観をお勧めしています。

 

神想観では祈りの言葉を唱えながらひたすら神の御心に波長を合わせ、心の眼を開いて、

 

神の智慧と愛と生命と調和が充ち満ちている実相世界を観ずるのです。

 

神様のお創りになったままの完全円満な世界にあるところの実相の

 

 「既に成れる」 相(すがた)をありありと心に描いて観ずるところの祈りでありますから、

 

祈りの中の最も完成せる最高の祈りであって、

 

本当にあるところの神の世界を感ずるから「神想観」と呼ばれるのであります。

 

従って、この「神想観」を毎日毎日欠かさず行うことによって、

 

今までの不完全にあらわれていた世界が、実にいと妙に調和満つる地上天国に変貌するのであります。

 

    谷口清超著「愛と祈りを実現するには」193ページ

 

 そのままで神の生命に満たされ、生かされている完全円満な実相の自覚を深めることが、

 

生長の家の信仰なのです。

 

 神想観は、実相の扉を開いて実相を知る最も簡単な鍵

 

このまま「神の国」である世界(宇宙)の実相と、そのまま「神の子」である人間のじっそうとを念じ且つ観ずるのが神想観である。念ずること観ずることによって既に在る「神の国」と「神の子」とが現れ、至幸至福無碍自在の境に達し得られる。

 

 基本的神想観

 正座瞑目合掌して 次の如く 心の中で唱えます。

 

「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る。此処がこのまま実相の世界である。

 神の無限の智慧の海・・・数回繰り返します。

 神の無限の愛の海     〃

 神の無限の生命の海    〃

 神の無限の供給の海   〃

 神の無限の悦びの海    〃

 神の無限の調和の海    〃

この大調和の実相の世界にいて、吾れ神の子として 神より無限の生かす力の供給を受けつつあるのである。」

 

 (合掌より天下り来る神のいのちを、鼻より受けて吸い込む心持ちになって静かに息を吸います。息は吸気と共      に頭上より脊髄に沿うて全身に流れ入り、全身が神の霊的生命により置き換わるが如き思いしつつ)

 

「神の無限の生かす力、自分の内に流れ入る、流れ入る、・・・・」

 

(と念じます。充分吸気したる時、その吸気を下腹に堕とし、丹田に充実膨満の感を起こし、その充実の感を、神のいのちに満たされていると感じ、静かにした腹に息を保ちたるまま)

 

「満たされている、生かされている、・・・数回

有難うございます、有難うございます。・・・数回

 

(と念じ、全身神のいのちにて光明遍照せる様を心に描き、心の眼を以てそれを見詰めるつもりにて精神を統一し、呼気は吐かず自然に鼻より漏れ出ずるに任せます。自然に呼気が洩れて、呼気をも催して来たころ息を吸います。吸う時の心持り前述の通り、丹田充実、満たされ生かされている思念前同様。)

 

「もはや吾れ生きるにあらず、神のいのち此処にありて生くるなり・・・、」

 

(と念じ、以下 数回繰り返します。)