無条件の「有り難う」が言える幸せ    佐藤伝

 般若心経の最後の呪文「ぎゃーてー、ぎゃーてー、はーらーぎゃーてー、はーらーそーぎゃーてーぼーじーそーわーかー」の意味は、『自由だ、自由だ、自由になった、大宇宙よ、ありがとう」と多田等観と解いています。自分は既に完全な存在であり、何一つ足りない物は無い、自分を縛る者等無い自由な存在であることに感謝するのが般若心経の教えであります。

 大病を煩った時、「これで死んだら短い人生だったなと、でも、もし、命が助かったら、もう自分に嘘をついて生きるのはやめて本音で行こうと思った。

 俺は一回死んだんだからと思うと、本当に怖い物がなくなり、何か重しが外れた感じがしました。そうすると、人間ってなんでもできるようになるのです。私から見ると、多くの人はつまらいプライドを握りしめている。それを手放せることが出来たら、凄く自由になって、もっと楽しく生きられるのです。

 退院して朝、目が覚めた時「ああ、朝だ、目が開いたよ」と、嬉しくなって涙がでました。朝目がさめるということがいかに有り難いことかと思いました。「当たり前」の有り難さをまさに実感したのです。

 「今日も生かされている」ということに感謝できるようになると、本当になにもかもが『有り難い」と思えるようになるのです。

 感謝の話をすると、自分の外のものに心が向き勝ちで、肝心の自分自身に対する感謝を忘れがちですが、先ず、自分自身に感謝で出来て、初めて、外の人に感謝が出来るようになるのです。

 自分で自分に感謝できなくて、人から貰うことばかり考えてしまいます。つまり自分に感謝できない人が、他人に感謝できるはずは無いのです。

 実は、私たちはこの世に生かされているというだけで、無条件に幸せなはずです。幸せとは「なる」ものではなく、「感じる」ものです。「幸せだなーと感じる時間が多い人ほど幸せな人であり、日常の当たり前なことに感謝できる人こそが、本当に幸せな人なのです。