今日の瞑想

 先日はなぜ、座禅をするのか?なぜ座るのか?と書きましたが、漠然と只座っているだけでは、繰り返しているだけでは、何の効果、意味も無いのではとおもうようになりました。

 生長の家では、この瞑想を神想観という座法で説かれています。そうです。この瞑想の中で、「我は神の子なり。即ち実相円満なり」と我に問いかけ、我の実相を自覚するのがこの座法でした。

 この世には、因果の法則が厳然として存在します。
 結果があるのは原因があったからです。原因が縁に触れて果を結ぶのです。そのことを因縁果とも言います。

 とってもいい瞑想は、「我は神の子なり、実相円満」と言葉(祈り)で唱えることです。これが因です。因がまかれば必ず果を結ぶことになるのです。

 だから、瞑想中は「我は神の子なり、実相円満なり」と唱えることが一番いい瞑想だと思いました。