宇治2月錬成

2月16日

「神想観練習」   大熊先生

・「私は神の子」これが根本自覚であり中心自覚である。
・生長の家は言葉の宗教であり、世界最大の光明思想団体でもある。

・唯物論、肉体が実態なり、ねばならぬ、この3つから苦しみが生まれている。
・迷信を信じると、ねばならぬになる。

・一生懸命にやっていると、理解を超えた何かが出てくる。
・寂しいのは、愛されていないのではなく、愛されているのに気付いていないだけです。

・小懺悔とは悪かったですとあやまることです。  
・大懺悔とは、はいはい私は神に子です。と素直に受け取ることです。

・悪があるとの観念を消すのが浄心行です。


「体験談」  三好友子
・8年間、広告代理店に。ボランティアで農家に。このギャップは。二十日鼠のようにカラカラとまわる 生活だったと。何のために生きてきたのか。今までは自分の力で生きていたと思っていたが、生かされ ていることに気付いた時、うじでのせいかつが始まった。  21集に。

「喜びの生活」   榎本先生

・ある時、父の藤原敏之に、どうして、神癒のある人と無い人ができるのか?
 奇蹟の起こる人は、大賢の人か、大愚の人に起こる。
 言われたまま、素直に信じて行ずることが大切。

・私は8ヶ月で、500匁で生まれた。心臓弁膜症でいつも運動は見学していた。9歳の時、父がこの教 えに触れ、娘が死んでもこの教えについて行こうと決意し、明日からは皆と同じようにうんどうもあす るようになった。それ以来、病院には行っていない。

 ・不完全を創るような神なら神ではない。

・「只、喜んでくれてさえいたら、僕は十分過ぎるほど嬉しいよ」と夫に言われた。

 嬉しい時に喜ぶことは誰にでも出来る。しかし、嬉しく無い時でも喜ぶことかと。
 喜んでいれば、嬉しくなってくるのではと、鏡を部屋中につるした。(表情)
 暇あるごとに「有り難う」と言い続けた。(発生音)

 言葉の創化力を利用して、「喜び帳」に(思念)


 「喜ぶことが1つもない時でも、喜ぼう」
 「何が起こっても喜べる生活を」