秋の尾瀬紀行文     昭和44年11月末
 
 尾瀬、過去三度の印象の強きこと。
 秋も深まり、夜長にふと思い出され11月2日~3日の連休に共と二人で出かける。 
 急な思い立ちに荷物もそこそこに1日夜の新幹線に乗り込む。まだ夜の帷の明け切らぬ中、上越線の沼田駅に着く。そこには今年最後の尾瀬への若者で駅前広場にはバスを待つ列が続く。

 30分近く夜の冷気にさらされた後、大清水へのバスに乗り込むことができた。冷え切った体ではすぐに寝れずリュックからウイスキーを取り出し暖をとる。寝付かれぬ夜汽車のせいか、いつの間にか深い淵に引きずり込まれ「おい、着いたぞ」との友の声に目を開ける。窓の外はまだ暗く、時計を見ると5時。余りの冷え込みに小屋でおでんをつつきながら暖をとる。6時頃になってようやく当たりが薄明るくなってきたのを潮に腰を上げる。
 
 雪解けのぬかるみ道を黙々と歩き続ける。小一時間も登ったであろうか、小さな山小屋で一服する。小屋の前の谷川で洗面するが谷川の水の冷たきこと、寝不足な顔も引き締まり、すがすがしい気分になってきた。

 私達の横で休んでいる人達がミカンを食べていたので手を出して頂く。山道を登り詰めてのミカンの香、甘酸っぱく、喉に染み渡ること。

 彼女たちと供に連れ立ちて三平峠へと向かう。結構ゆっくりと歩いているのに、彼女達のしんどげな様子に30分位で休憩をとる。私達も急ぐこともないので霧の上がった風景を右に左に見ながら峠へと歩く。麓から2時間位で峠に着いた。

 峠は一面の銀世界。雪玉を作ったりしながら暫し憩う。峠から沼畔までは日陰になるのか雪の道、雪の上を注意しながら下るが何回か足を取られ雪原に倒れ込む。しかし、一面の雪の上を歩く心地よさ。南国生まれの私には倒れて雪に触れる心地よさに沼畔までの1時間は別世界であった。

 8時頃、朝靄の懸かる尾瀬沼畔に出る。一服していると急にお腹が鳴り出し、みんなで持ち寄りを取り出して腹こしらえをする。そのうちに、朝靄が晴れ渡り、燧岳に抱かれた波一つない湖面が現れてきた。

 右手には黄金色の大江湿原、空には雲一つない澄みきった青空。景色に見とれていると、おかっぱの人が「燧岳に登ろう」と言い出す。私達は深まりゆく尾瀬を鑑賞にきただけに、しばし悩む。また、他の3人もひ弱そうだし、あの三平峠の登りでさえ、あの始末。しかし、余りにも登りたいという彼女に負け、みんなで登ることになった。
 
 沼畔を左手から巡り、沼尻へでる。早春には未だ残雪の中から水芭蕉が沼岸一面を埋め尽くすかと思うと早春にも訪れたい衝動に駆られる。

 沼尻からは燧岳が頭上にそそりたつ観。暫しの休息の後、身支度も整え直し10時に出発する。湿原の丸太を過ぎると、灌木の林、道という道はなく、沢を上に上にと登る。初めは30分で休憩。いつの間にか10分で休憩となる。おかっぱの人と小柄の人は元気。のっぽの人とピンク服の人はダウンしかねなく様子に友と二人で彼女達の荷物を持つ。おかっぱの人は言い出した手前か、張り切っている。

 灌木を抜け、はい松の原に出ると、眼下に広がる景色。緑に囲まれた沼。右手遠くには千古の尾瀬の原が限りなく広がる。その向こうには至仏の峰がなだらかにすそ野をひいている。

 2時頃、やっとのことで頂上に。おにぎりを頬張りながら眼下遠くを眺める。北には越後の山々。東には奥会津の山々と奥只見の銀山湖が。南には奥日光の山々。西には至仏岳。今にして登頂の味をみんなでかみしめる。

 3時頃、山を下り始める。はい松の林を30分ほど下ると、うっそうとした灌木の林になる。道がなだらかになった頃、日が落ちてきた。日が落ちると急に当たりが薄くなってきた。
 落ち葉の上を歩く時の枯れ葉の音、武蔵野の林もかくあらんかと思われてくる。日がとっぷりと暮れ十字路の宿の明かりが見える頃やっとたどり着く。

 おかっぱの人は竜宮小屋に予約しているとのことで、又の再会を期して別れる。私達は第二長蔵小屋に行ってみたが、満員で断わられる。尾瀬小屋では、合い部屋でよければとのことで泊まれる事になった。

 「部屋を整理しますので先にお風呂に」荷物を玄関に置いて食事の前に風呂に入る。何人も入ったのであろう、垢が浮いている中に飛び込む。山小屋では贅沢は言えない。風呂から出ると彼女達は玄関でぐったりとなっている。「風呂に入った方が疲れがとれるよ」と言って風呂に行かせる。タバコを吹かせていると、さしもの私達も今日の強行軍の疲れが出てくる。みんな揃ったところで夕食にする。

 ビールを飲みながら、今日の事、三平峠、燧岳の事など話しながら食べる。ビールの美味いこと。
 食事の終わる頃、「部屋が片付きました」と部屋に案内される。合い部屋かと思いきや、私達だけ個室。私と友は2畳の部屋に。彼女達は真向かいの部屋に。布団をしいてから彼女達の部屋でだべる。

 初め二十歳ぐらいかと思っていたが、2人は23歳で社会人、一人は学生とのこと。三平峠で私達に声を掛けられて結局4グループが一緒になって行動していたとは。消灯の時間も過ぎ、10時頃、床に伏す。

 6時に起床の合図で目覚める。窓の外は夜来の雨で濡れている。空はどんよりと曇り、霧雨で原の方はかすんで見える。夕べ、今日のコースについて話し合い、早く東京に出ようとのことで今日は最短コースを歩くことになったものの嫌な天気だ。宿の前で記念写真を撮り、7時過ぎに出発。

 尾瀬原は一面の枯れ草。昨年の夏に来た折りには色とりどりの草花で埋め尽くされていたのに。丸太の上をみんなで歌いながら歩く。出会う人との「おはよう」、「こんにちは」の声。千古の尾瀬のなせる技か。

 霧雨が上がり、日が昇るに従い、若いハイカーの赤、青、白のジャケットが浮かびあがってくる。宿の人の話ではこの10日にみんなで一緒に下山するので、明日からその準備をするとのこと。私達は今年最後の尾瀬に来たことになる。他のハイカーも深まりゆく尾瀬を惜しむがごとく三々五々にたむろしている。
 
 その頃になると、向こう遠くに至仏の女性的な、なだらかな裾野が浮かび上がってくる。今年の春の至仏岳の登山のことが昨日のごとくに思い出されてきた。

 竜宮小屋の手前で、昨日別れたおかっぱの人に出会う。みんなの驚くこと。昨日一日、苦しんで燧岳に登った仲間。彼女のさっぱりした気性、富士見峠の別れ道まで一緒に歩く。そこで30分ほど、写真を撮ったりして過ごした後別れた。

 湿原とも別れ、灌木林へと分け入り、一路富士見峠へと目指す。若いハイカー達の前になったり後になったりしながら、急坂を喘ぎあえぎ上へ上へと蟻の進むがごとく登る。初めの頃はみんなで歌っていた歌もいつしか消えている。

 なだらかな峠近くになると、いつの間にか、十数人の列になり、峠の湿原で休憩する。一人が「紅茶でも入れましょうか」とのことで、火を起こすも水が足りない。そこで、周りの人に少しずつ分けて頂き、暖かい紅茶になる。あと30分も下れば小さい峠の山小屋。尾瀬最後の湿原で肩を組みながら記念写真。

 山小屋からは、広い荷馬車の通れる広い道をバス停まで下る。途中で富士見峠を振り向くと紅葉に彩られた山々。あやめ平ら当たりは残雪が残り、その頭上には濃きコバルト色の空。雪原の上には赤、青、白のジャケットが動いている。思わず「ヤッホー」聞こえたようで「ヤッホ-」と返ってくる。

 途中で休憩していると、私達は霧雨だったので、あやめ平らは素通りしたが、下ってくる人の話では「素晴らしかった」とのことでほぞをかむ。来年の7月の草花の一番咲き競う頃、もう一度くる事を胸に秘め、軽やかな足取りと歌声でバス停まで下る。

 沼田までの3時間バスの旅。上州の山々の紅葉。鮮やかな黄金色の唐松の林。
 友が歌を隣の人に教えつつ歌っているとバスの中全員もつられていつしか大きなコーラスになっている。それが沼田まで続いた。

 最後は「雪山讃歌」の合唱。素晴らしき尾瀬との別れの心情か、いつしか感きわまってくる。
 深まりゆく尾瀬の景色と雪山讃歌の哀愁を含むメロデーと共に燧岳に登った3人とも別れる時を感じて か。また、いつの日にか、再会を期して。