神想観 榎本
・神社仏閣で「・・して下さい」とお願いするのは祈りではない。
祈りとは命を述べる(宣言する)との意味である。「私は神の子であります。有り難うございます」と 宣言することであり ます。「私は神の子で・・出来ました。有り難うございます。」と宣言すること であります。
・現象の世界は不完全な世界でありますから、不完全なるが故に不安になったり悲観したり救われないと 嘆くようになるのであります。絶対に安心することができないのであります。
・実相の世界は欠ける事なき完全円満なる世界でありますから、何があっても安心なのであります。
何があっても良くなるしかないのであります。もう既に救われているのであります。
・観ているもの、認めているものが現れているのが現象の世界です。だから、
観ているもの、認めているものを改めれば、改めた世界が現れてくるのです。
・「私は体が弱い」と言っている人に健康な人はいません。だから、弱いと認めているのを改めて「私は 健康です」と宣言すれば、認めた通り、健康になってくるのです。
・神想観をすれば、「私は神の子です」と宣言していれば、神の子の自覚が芽生え、心が整い、神の子と しての行動が生活の中に出てくるので、生活が改まってくるようになるのです。
だから、朝夕2回は神想観をすることが大切なのです。
・言葉で宣言したもののみが存在するのです。
・実相が実相を念じているのが神想観です。
・現象はほっといて、不完全の世界はほっといて、実相の姿を、完全円満なる姿を観るように
・実践すればー実証されるーそうすると信が生まれるー嬉しくなってまた実践する・・円滑現象
・神社仏閣で「・・して下さい」とお願いするのは祈りではない。
祈りとは命を述べる(宣言する)との意味である。「私は神の子であります。有り難うございます」と 宣言することであり ます。「私は神の子で・・出来ました。有り難うございます。」と宣言すること であります。
・現象の世界は不完全な世界でありますから、不完全なるが故に不安になったり悲観したり救われないと 嘆くようになるのであります。絶対に安心することができないのであります。
・実相の世界は欠ける事なき完全円満なる世界でありますから、何があっても安心なのであります。
何があっても良くなるしかないのであります。もう既に救われているのであります。
・観ているもの、認めているものが現れているのが現象の世界です。だから、
観ているもの、認めているものを改めれば、改めた世界が現れてくるのです。
・「私は体が弱い」と言っている人に健康な人はいません。だから、弱いと認めているのを改めて「私は 健康です」と宣言すれば、認めた通り、健康になってくるのです。
・神想観をすれば、「私は神の子です」と宣言していれば、神の子の自覚が芽生え、心が整い、神の子と しての行動が生活の中に出てくるので、生活が改まってくるようになるのです。
だから、朝夕2回は神想観をすることが大切なのです。
・言葉で宣言したもののみが存在するのです。
・実相が実相を念じているのが神想観です。
・現象はほっといて、不完全の世界はほっといて、実相の姿を、完全円満なる姿を観るように
・実践すればー実証されるーそうすると信が生まれるー嬉しくなってまた実践する・・円滑現象