教え子からの手紙が荷物の隅から出てきました。

 お久しぶりです。矢田先生、お元気でお過ごしでしょうか?本当に久しぶりで矢田先生が自分のことを覚えてくれているか不安です。しかし、先日植田君と電話で久しぶりに話し、彼への年賀状に「平岡君、道上君は元気にしている?」と矢田先生が書いていらしたことを聞いて、涙が出るほど嬉しくそして懐かしく思い、手紙を書かずにはいられなくなり書きました。それと同時にあれほどお世話になっておきながら今まで何の連絡もしなかった自分を恥かしく思います。でも、それ以上に再び矢田先生と連絡を取る事ができることが大変嬉しいです。

 思いで出してみると、矢田先生と出会ったのは玉原小学校の4年1組でした。クラスの友達や矢田先生と過ごした時間をいまでも鮮明に思い出す事が出来ます。先生は、その当時、竹箸を超能力?で驚かせてくれたり、土笛を作って遊んだり、宝けんをしたことを今でも不思議なくらいに覚えています。それほど自分にとって矢田先生の存在は大きく、その時以来、自分も先生になりたいと思うようになり、今は遠くの群馬大学の教育学部で勉強しています。

 先生に「人間は神の子、仏の子、だから無限の力がある」や『人を褒め称えて、感謝の気持ちを忘れずに」という教えはあの頃からずっと心にしまっています。そして何時の日にか自分もそういう人の心を動かすような暖かい言葉を言うことのできる教師になりたいと思っています。

 自分は4年の時に聞いたことがあります。(先生はあそらく忘れていると思うけど)「先生ってどうしたらならるの?」と聞いた時、先生は「子供が好きだと成れるよ」と聞かしてくれました。あのときの言葉は年を経るごとに素晴らしい答えだと感動します。本当に矢田先生はいろいろな夢を与えてくださいました。小、中、高とたくさんの先生に出会いましたが、夢を壊すようなことを言う先生はいましたが、矢田先生のように暖かい先生は本当に少なかったです。

 高校3年の時の先生は特に冷たい人で「お前は大学なんか行けないぞ」ぐらいのことを平気で言う人っだったので、高校時代は人生の中でも無気力な時期でした。しかし、なんとか無事、群馬大学に合格する事が出来ましたので、今ではこの時期がずっと続けばいいのにと思うほど充実した日々を送っています。群馬県には利根川がながれているので、上流の水上でカヌーやラフティングを春~秋はやって楽しんでいます。川原で仲間とキャンプを張って、料理を作り,お酒を飲んでたくぃ経ん面白いです。あと、群馬に来て楽しい趣味としtれは車です。近くにサーキットがあるため、友達(悪友?)ちょっこと車をいじって、サーキットに走りにいっています。といってもお金が無いので古い車です。

 後、群馬県の北部では、この時期になると大雪なので、スキーやスノーボーによくいっています。何をしてあそぶにしてもお金がかかるのでアルバイトを4種類ほどかけもって頑張っています。
 一人暮らしをすると、お金のありがたみが身にしみます。本当にお金が無いときには、ご飯と味噌汁と言う日が何日も続いてこともありました。そのような生活でも本当に田に惜しくて楽しくて仕方が無いといった感じです。たまに実家に帰っても早く群馬に帰りたいと思うくらいです。

 そういえば最近、教育実習を終えました。」早いもので自分がもう教える側に立つんだなとしみじみ感じました。小学校は5年生で、中学校が2年生だったのですが、やはり小学生は楽しいです。休み時間になると、皆すごい勢いで私の腕をつかんで運動場に連れて行ってドッジボールをしていました。勿論授業も大変でしたが、子供のエネルギーというものはすごいなといまさらながらに感じました。しかし、子供の無邪気な笑顔には負けて少しでも空いた時間があれば、汗だくになるまで遊んでいました。教育実習を終えて分かったことは、思っていたよりも、大変忙しい仕事だということ。あと、子供達に囲まれて過ごす時間は何て楽しいのだろうということです、よりいっそう教師になりたいと思う気持ちが強くなりました。

 長々とまとまりのない文章になりましたが、これらが今のわたしの出来事です。最後に4年の時に矢田先生に出会えたことは私の人生で最も大切な出逢いです。お体に気をつけてこれからも頑張ってください。私も本当の教師になることができるように日々頑張っていこうと思います。

             1999年1月20日  平岡