
といっても、ワタクシはイベントは不参加。
一人で伊賀上野の街をブラブラお散歩してきたのですよ

伊賀上野って、実はレトロで素敵な所がいっぱいの街



こんな建物が普通に街の中にあるのです。
で、ワタクシが一番行きたかったのは、こちら。明治14年に建てられたという、旧小田小学校


外観からして、素敵

中には昔の教科書や文具が展示してあります。


昔の教室を再現したスペースもあり…



古いオルガンやピアノもあります。







下の足踏みオルガン、弾くの結構難しかった

2階には卒業生の写真がかざってありました。

実はこの小学校、昭和に入ってもしばらく使われていたんだそうです。
なので、卒業写真も明治時代から昭和40年代くらいまでのものがありました。
男子もですが、特に女子の服装を見ていると、時代の変遷がよくわかります。
明治大正期は、白黒でもわかる、きっと一張羅の晴れ着だったのだろうと思われる綺麗な着物と袴姿がほとんど。それが戦争が激しくなるにつれ、セーラー服にモンペ姿になり、戦後は徐々に洋装の制服姿に、と変わっていくのです。
リアルな庶民の服飾史を感じられて、とても興味深かったです。
そして、この小学校の一番素敵なところ。
それはこれ。
わかりますか?
2階に上がる階段です。そのあがりきったところの窓。
そこにはこんな綺麗な色ガラスが…
更に、この小学校にはまさしく、「露台」と呼びたいようなバルコニーがあるのですが、そのバルコニーへの出口にも…
なんて綺麗な色ガラス
この小学校を建てた当時、係りの人がわざわざ神戸まで行って買い付けてきた舶来のガラスが、当時のまま残っているのが、このガラス窓。
この日は生憎の雨だったのですが、天気の良い日の午後は、光がこの色ガラスを通して差し込んで、床にそれは美しい青や赤の影が映るそうです。
本当に素敵で、ここに着物女子がいたらさぞかし絵になるだろうなぁ…
着物女子で伊賀上野に小旅行した~い、などと妄想をたくましくしつつ、次に行ったのは、江戸時代の藩校だったという「旧崇廣堂」
見事な日本家屋。これ、学校だったんだすよねぇ。
一番の中心にあったのは、広い座敷というか、講堂。
ここで何十人もの元服前後の青少年が学んでいたのです。
にしても、昔の学校は空間の使い方がとても贅沢。
美しく整えられた中庭もあり、生徒はその中庭からこの講堂に出入りしていたそうです。
(玄関から出入りしていいのは、藩主と先生だけだったんですって)
この上にかかっている額の文字がなんとも素敵
こういうとこで学んでいた武士の子たちって、さぞかし凛とした青少年だったんだろうなぁと思いました。
それにしても、伊賀上野市ってスゴイなぁと思ったのは、実はこの建物、今現在の市立図書館が出来る前は、師の図書館として使われていたんだそうです。
こんな建物で本を読むって、めっちゃ贅沢じゃないですか?
いや、曲がりなりにも史跡なわけで、緊張しまくるかも…
どっちにしても、羨ましい話です。
この後、街中をブラブラしつつ、お饅頭なんかを買ったり、デパートの催事なんかでよくお見かけする藤岡組紐店の本店を冷やかしにいったり、楽しいひと時を過ごしましたとさ。
藤岡組紐店の入口。とっても素敵な帯締めがいっぱいで、我を忘れそうになりました。
一番好みの帯締め、今でも欲しくて仕方ないんだけど、0の数が……
ワタクシが自腹で購入したどの着物や帯より高いけど、なんとか貯金して買いたいなぁ。