「件」刈谷駅 | 羊頭を懸けて狗肉を売る

羊頭を懸けて狗肉を売る

社本善幸の似顔絵日記

たまたま泊まったビジネスホテルが刈谷駅の真上で、早朝始発から駅の動きを見下ろしていて若い頃に嵌った内田百閒の随筆を思い出した。そこに出てくるステーションホテルは東京駅だ。拙者はあそこにも改装前にわざわざ泊まったことがある。今はどうなったか知らないが、当時は百閒が愛したであろう重厚な部屋造りのままだった。
百閒というと夏目漱石の愛弟子で随分昔の人のようだけれど、拙者が小学生の頃までは雑誌の連載を持っていた。(勿論読んだのはもっと後。)
鈴木清順監督が「サラサーテの盤」などの短編を組み合わせて映画「ツィゴイネルワイゼン」を作ったのが再ブームのきっかけだったと思う。
百閒が描く世界は少なからず不可思議奇怪なもの。しかしステーションホテルを含む鉄道ものや随筆は飄々としていて、それでいて格調があって楽しい。
百閒は刈谷駅についても書いている。親友の作曲家・宮城道雄の死を悼む一文だ。そのタイトルを拙者は「東海道刈谷譚」と長いこと誤読していた。それは単に「駅」の旧字・驛を譚と間違えたからだけれども、
盲目の天才作曲家の死が、なにか神秘的なただならぬ力による奇譚に思えたからでもある。(…などと言ってみる。)箏の演奏者でもあり検校とも呼ばれた宮城道雄はその日、大阪での公演に向かうために夜行の寝台列車に乗っていた。車両を移動する際、誤って乗降口の扉を開けてしまい車外に放り出され帰らぬ人となったらしい。(誤って、というのは推測に過ぎず真相はわからないとも言われる。)
刈谷駅の南口から名鉄三河線の線路沿いを知立に向かって歩いてゆくと、JRと交差する辺りが宮城検校遭難の地で供養塔が建っているらしいが見たことはない。

そういえば学生時代、クラスの違う知らない人が内田百閒の「件」という物語を絵本化していたのも印象にある。件(クダン)とは身体が牛で顔が人間という怪物で、
「件のことは聞いてはいたが、よもやそれに自分がなるとは思いもよらなかった…」というような感じで始まる奇妙な寓話だったと思う。
これはよくカフカの「変身」と比較され「カフカ・変身のような陰惨さがなくユーモアに満ちている」などと評されるけれど、まるで違うと思う。百閒が描いているのは、この世ではない。かと言って死の世界でもない。まさに「色はあるが光がない」世界だ。その曖昧な空間で人生での縁故が悪夢のように永遠に纏わり付いてくる…それは顔のない恐怖であり、カフカ・変身以上の陰惨さだ。
内田百閒は明治と昭和を繋ぐ連結器のような人だったのかもしれない。更には江戸と近現代を繋ぐ連結器。
宮城道雄の「春の海」にしても今では正月の代名詞のように捉えられているけれど、実はドビュッシーからの影響があるらしい。
まやかしめいた「伝統」を手放しに享受することなく連結器をひとつひとつ辿らなければならない。車外に放り出されてしまうことなきように慎重に。