昨年の秋ぐらいから、俗世で生じている物事に執着が減ってきました。政治、経済、金融、医療、食料、紛争、どれをとっても人が生きていくうえで、深刻な影響をもたらす事柄ばかりですが、それほど気にならなくなってきました。どうしてなのか理由はわかりません。

 

身近なことでは、せっかく授与された博士号も活かしてみようと思い、試しに大学教員公募の2件にも書類を送ってみました。ただ、公募とはいうものの、概ね人のつながりで採用が決まっているというのが業界の常識ということのようです。また、処遇の比較からすると、現在の方が望ましいとなれば、内定を断る可能性もありました。でもやってみなければわからないし、世の中の仕組みを知るうえでも気軽にトライしました。多くの人が真剣に応募しているのに、不謹慎かもしれませんが、結果は、書類選考であっさりと不可。それでも特別な感情がわきませんでした。

 

また、新年早々、情報セキュリティマネジメント試験を受けることを決めて、参考書も買いました。昨年、当日の体調不良を押して試験会場まで行き、あっけなく不合格だったにもかかわらず、ゲームのように試験を楽しもうと思い立ちました。何だか失敗馴れしてきたようですが、子どもたちにも人生で小さい失敗を積み重ねろ、と助言をしているので、自分でも有言実行しようというところです。

 

このように、物事に執着しなくなったというのは、正確には結果に執着しなくなってきたということのようです。いろいろなことに挑戦するものの、その後の結果はどうでもいい。自分に必要であれば、結果はついてくるし、不要であればそれまで。何も深く考える必要はないようです。

 

そして、自分がアクションを起こそうが何しようが、世の中は変わらない。むしろ、行動よりも想念の方がはるかにパワーがあり、世界の方向性を変えるのではないかということなのでしょう。ですから積極的な思いで心を満たし、日々生きることの方が大切であると。そのためには、嫌なことからも逃げて良いと思います。無理はしない。嫌いなものは嫌いなわけで、どうしようもないのですから。「言うは易く行うは難し」ではありますが、今年は軽く生きていくことにします。