1989年(昭和44年)8月のある夜、シャロン・テ−ト他、4名がロサンゼルスで殺害された。

難航を重ねた捜査の末、逮捕された犯人たちは想像を絶する素顔の持ち主だった。

チャ−ルズ ・マンソン、そして彼の信奉者たちが狂気の犯行に走ったのは何故なのか?その真相に迫る。

1969年、マンソンファミリーの第一番目の犠牲者になったのは、ロサンゼルス市マリブでゲイリー・ヒンマンが殺されたのが最初だった。

8月8日 金曜日の真夜中、ハリウッドのシエロ・ドライブをゆっくりと進んでいた白と黄のツ−トンのフォ−ドが10050番地の向かい側に停止した。

そこは、女優のシャロン・テ−トの邸宅だった。テックス・ワトソンは既にこの場所に先乗りしていて、リンダ・カサビリアン、クレンウィンケル、グラッツらは、おのおの着替えの衣服と両刃のナイフを手にフェンスを乗り越えた。ワトソンはファミリーの銃、22口径バントライン・スペシャルを携帯し、13mほどの長さの白いナイロン・ロ−プを肩にまきつけていた。テ−ト宅はまったく無防備だった。

その時、白のナッシュ・アンバサダーがシェロ・ドライブを通りかかった。ワトソンは銃を振りかざしながら車のヘッドライトの中に躍りでて、ドライバーに停止するように怒鳴った彼は銃を車のウインドゥに向け、18歳になるスティーブン・ペアレントの頭に4発発射し、車を茂みに押し込んだ。

ワトソンはカサビアン、クレンウィンケル、グラッツに屋敷の周囲を偵察するようにいいつけたが、女たちは進行口を見つけることができなかったため、ワトソンが正面の無人の部屋の網戸を引き裂いた。カサビアンはその後も外で見張りを続けたため、一度も屋敷の中には入っていない。残りの三人は屋敷の中に入り、大型のソファ−に寝ていたボイティック・フライコウスキ−を発見した。

フライコウスキ−は、目を覚まし、自分の顔に向けられたバントライン拳銃に気がついた。フライコウスキ−が何が欲しいのだと訊ねると、ワトソンは俺は悪魔だ。悪魔のすべき仕事をしに来た、金を出せと応じた。


チャ−ルズ・マンソンの顔

グラッツが見つけてきたタオルでフライコウスキ−の両手が縛りあげられた。グラッツは屋敷の中を見回り、ベッドのなかで本をよんでいるアビゲイル・フォルジャ−を発見した。
グラッツはそこは通り過ぎ、別のベッドルームの入口に立ち、妊娠8ヵ月のシャロン・テ−トがジェイ・セプリングと話しているのを見つけた。
グラッツはワトソンに指示を仰ぎ、2人を捕らえるよう指示した。海軍にいたこともあるセプリングは、シャロンに姿勢を低くするよう求め、次の瞬間、銃につかみかかった。
ワトソンはセプリングの脇の下を撃った。ワトソンが金を出すように言うと、被害者たちは素直に応じた。ワトソンはその後、フォルジャ−とテイト、セプリングを一緒に縛った。
ワトソンは次にグラッツに対し、フライコウスキ−を殺害するよう命じた。
フライコウスキ−はこれに抵抗し、ようやく自由になった手でグラッツの髪をつかんで頭を殴りつけた。グラッツはフライコウスキ−の脚を4か所、背中を2ヶ所刺している。
ここでワトソンはフライコウスキ−を2度撃ったが、彼はそれでも抵抗を続けていた。パニックに陥ったワトソンは銃のグリップでフライコウスキ−の顔をクルミ材のグリップが砕けるほど殴りまくった。


ワトソンば怪我をしてもがいていたセプリンクに近寄り、4回刺した。もはや、ワトソンは血に狂い、、自制がきかなくなっていた。ワトソンはクレイウィンケルを押しのけると、フォルジャ−に飛びかかり、首に切りつけた後、数回刺した。
フライコウスキ−は正面玄関からよろめきでて、大声で助けを求めた。正気を失ったワトソンはその後ろからめちゃくちゃに刺した。
一方、シャロン・テ−トがセプリングの死体に縛り付けられていたが、まだ無傷で脱出を図りつつあった。そこへ戻ってきたクレンウィンクルがテ−トをとらえた。
テ−トは自分と胎内の子供のいのちごいをしたが、グラッツの反応は残虐だった。グラッツとクレンウィンケルがテ−トを床に押さえつけているあいだに,ワトソンがテ−トを刺殺し、その後、全員がテ−トを刺したのである。
この夜遅く、チャ−ルズ・マンソンとファミリーのメンバーの一人がグラッツのナイフを探し、現場の証拠を片付けるためにやってきた。

犯罪研究者のコリン・ウィルソンは言う。1967年にサンフランシスコにやってきたマンソンは、すでに人生の半分以上を刑務所などの矯正施設で過ごしていた。彼は若者、とりわけ若い女性に対してカリスマ的魅力があることを自覚することになった。
マンソンとドラッグカルチャーは、互いに切っても切れない関係にあったようである。刑務所暮らしのつらい日々の後で、ドラッグと出会ったマンソンは、天国に登った気分だったのだろう。カルト・メンバーに対する支配力が増すに連れ、自分自身を救世主だと思い込み、彼が腐り切っていると考えた社会への反抗を説くことが、自らの使命であると考えた。黒人と白人が殺しあうことが起こると信じ、手始めとして、7人もの人間を意味もなく殺害した。マンソンは、典型的な「慎怒型殺人者」のサンプルと考えられている。