島耕作は何処へ~~東芝の上場廃止 | 紙風船

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中学校と高校で社会科を教えています(いました)。街探検や銭湯が大好き。ピクトグラムや珍しいものが好き。でも一番の生きがいは、子どもたちに「先生の授業、たのしい」と言ってもらえることです。

東芝の東証1部上場廃止が決定しました。

株式取引には縁のないボクです。事情はよく分かりません。

簡単に東芝の歴史をまとめてみました。

でも,本題はそこにないので,

読み飛ばしていただいて結構です。

 

以下――

 

東芝は不正会計や巨額損失,アクティビスト(物言う株主)との対立など経営の混乱が長引いた。

JIPは総額2兆円を投じて8〜9月にTOB(株式公開買い付け)を実施した。東芝は株主をJIPに一本化し,投資ファンド傘下で再建を目指す。

 

1875年創業。

1904年に株式会社化。

1939年東京芝浦電気株式会社に名称変更。

1949年株式上場。

石坂泰三や土光敏夫ら日本財界を牽引する社長を輩出。

 

次々と国産初の製品を生み出してきました。

電気冷蔵庫(1930年)

電気洗濯機(1930年)

電気掃除機(1931年)

電気釜(1951年)

業務用電子レンジ(1959年)

ルームエアコン(1961年)

 

 

―― 以上です。

 

ボクが昔,愛読していた漫画雑誌『週刊モーニング』に

「島耕作」シリーズ(弘兼憲史作)が連載されていました。

島耕作が入社し後に社長・会長まで上り詰めた企業の名が

「初芝電産」です。モデルは「東芝」

ボクは何となくの読者でしたが,ある頃から読まなくなりました。それは「島耕作」が政治とのからみが増えてきたうえに,

「鯉住首相」を初め特定の政党・政権に肩入れする作品へと変質していったからです。―― 一般マンガ誌において,そのような作品をボクはみたことがありませんでした。

 

この筋書きは弘兼氏の思想信条から生まれたのか,

現実の東芝と政権との関係から着想したものか,

ボクには分かりません。

 

でも今回の東芝上場廃止のニュースを聞いて,

ボクは政権にすり寄り過ぎた会社の末路をみたと感じました。

もちろんボクには経営の知識も経験もありません。

超ドシロウトの感想です。

 

(1)過去の成功例にしばられ創意を失う。

先ほど挙げた「東芝国産一号機ヒストリー」は1961年で終わっています。それは,2つのことを意味しているのではないでしょうか。

A.東芝は「国産一号機」を生産した。

 しかし,「世界初の製品」を開発できなかった。

B.それゆえ日本やアジアの後発家電メーカーとの競争に負けた。

 

(2)苦境化で国策にすり寄り致命的な損失を計上した。

東芝は原子力発電に大きくかかわっていました。

そして依存度を次第に高めていきます。

HPによるとこれまでかかわってきた原発は

日本だけで26基,世界で49基にのぼります。

1960年代 1基。

1970年代 9基。

1980年代 3基。

1990年代 6基。

2000年代 3基。

2010年代 18基。

2020年代 4基。

工事中   5基。 

 

そして2006年「社運を賭けて」英国原子炉製造メーカー「ウェスティングハウス・エレクトリック」を買収(当時約6400億円)します。

これ以降手掛けた原発は27基で全49基の55%にあたります。

 

しかし,これが大失敗。

2017年 子会社ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーは再建型倒産処理手続き申請。負債総額は98億1,100万ドル。仮に1ドル=110円とすると約1兆1千億円!

―― wikipedia「東芝」より。

以後,東芝の経営は負のスパイラル。

 

ところが「東芝上場廃止」を巡るニュースでは,

この原発事業の失敗があまりとりあげられずに,

ただただ日本の代表的家電メーカーの退場を惜しむかのごとき

情緒的報道に終始している感があります。

よほど,なかったことにしたい「黒歴史」なんでしょうね。

東芝にとって…

いや日本政府にとっても…。

 

ちなみに,

島耕作は2022年で初芝を退任した設定だそうです。

その後は別会社の社外取締役になりシリーズは継続中。

初芝も存続しているようです。

 

「東芝上場廃止」を弘兼憲史さんはどう描くのでしょうか…。