「男女平等」から見えるもの~オリンピックから見える世界と日本⑥ | 紙風船

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中学校と高校で社会科を教えています(いました)。街探検や銭湯が大好き。ピクトグラムや珍しいものが好き。でも一番の生きがいは、子どもたちに「先生の授業、たのしい」と言ってもらえることです。

今回の選手団入場行進では,国際オリンピック委員会(IOC)が男女平等の推進を目的に,今大会から男女ペアで旗手を行うことを認めたというか,要請が出たそうです。

 

日本では八村塁さん須崎優衣さんが旗手に選ばれました。

なぜこの2人が選ばれたのかボクは知りません。

 

八村さんは国際結婚家庭の人だし,米国のプロリーグで活躍中なので,そこに理由が求められそう。

 

須崎さんはどうなのでしょう?八村さんのようなバックグラウンドは見つかりませんでした。

 

あえていうと,八村さんの身長は2m3cm,須崎さんの身長は1m53cm。身長差50センチ。ここが「多様性」のポイントだったのか?
すみません,つまらない妄想でしたお願いアセアセ

さて,各国選手団,ギリシア→難民選手団→アイスランド・・・男女ペアの旗手が続くなぁ。

 

ふと疑問が「イスラム圏の国ぐにはどうするんだ」。

イスラム圏では,男女の権利に厳格な差別が存在している国々がある。さて,「ここは国内ではない,オリンピックの場なんだから」と妥協してくるかどうか。以後,興味津々に見続けました。

 

結果は,男女ペアの国がかなり多かったようです。

イスラム教のご本山メッカの守護者を自負するサウジアラビアも男女ペア。かなり意外。

余談ですが,この国の実力者,王太子は,2018年に「国外に出た反政府活動家ジャマル・カショギ氏暗殺の指令を出し実行させた」という重大な疑惑の渦中に置かれた人(というか,ニュースを見聞きした人はほぼ「やったな,こいつ」状態。時の米国大統領がトランプさんで命拾いをした感あり)。
イスラム圏の国ぐににも変革の波が訪れ始めていることを感じさせました。


旗手と同時に,イスラム圏の女性の服装にも注目。ブルカで顔を覆っている人もいたけれど,顔も髪もオープンな人もかなりいました。国によっては,ブルカとオープンの女性が入り混じっているところもあり,「選択の自由があるんだ」と驚きました。

 

それぞれの人の信仰心の表れかもしれないし,家庭(父親)の教育方針や集落や親戚一同の厳格さ(強制力)の違いによるものかもしれませんね。

 

しかし,この高温下でブルカなどしたまま試合をするのは,すでに相当なハンディになりそうです。

 

イスラム圏の国ぐにのテレビの前で,女の子たちはどんな思いで,入場行進を見ていたんだろう。母親たちは娘に何をささやいたんだろう。

さて,他の場面にも男女平等を感じさせる演出がありました。
「日の丸」入場は三宅義信さん(1964東京五輪銅メダリスト)と高橋尚子さん(マラソン金メダリスト)ら年齢,職業,ハンディキャップ,さまざまな人たちによって行われました。
「聖火」は吉田沙保里さん野村忠宏さんが持ち入場。
次の3人(王貞治さん・長嶋茂雄さん・松井秀喜さん)については正直意図が不明です。
偉大な3人だし,長島さんはボクにとって少年時代のヒーローですが,オリンピック開会式にふさわしい方々とは思えませんでした。

 

医療従事者のお二人,東北三県の6名の子どもたちも,男女同数。

 

そして,最後は・・・大坂なおみさん。あれ?一人?なんで?。

 

誤解のないように,彼女に対する不満はまったくありません。

しかし,ある程度「男女平等」に配慮した流れを作っておきながら,最後の最後を男女ペアでしめくくらなかった--その意図がまったく読めないのです。

 

複数国のバックグラウンドを持つ選手なんて,男子にも大勢いるのに,なぜ?大坂さんとつりあう実績を持つ男子がいないから?う~~んはてなマーク

 

結局,4時間に及ぶ開会式を見終わり(時々寝落ちしながら)ボクに残った印象は,<テーマ(メッセージ)が見えない。個々の演出のつながりが見えない。<中途半端>というものでしたもやもやもやもや

 

そういえば「男女平等の推進」も日本側自ら掲げたものではなく,IOCからの要請でした。人に言われてやっている仕事は,自ら作り出している仕事に比べると,穴やら粗さが目立ってくるのが世の常。「男女平等」の中途半端さは致し方ないのかぁ・・・。


あっ!ひょっとして,<2021年,日本の現状を(男女平等を含めて),ありのままに世界に発信する>という目的だったのかな?それならば,開会式の演出は全体として大成功だったといえますねグラサン

最後に,IOCの要請なるものの文書をボクは見ていません。

ですが「男女平等」なんて書いていないことは断言できます!!

「男女平等」の英訳はGender equality,フランス語訳はÉgalité des genres。「男」もなければ「女」もありません。だから日本のメディアは「ジェンダー平等」と訳すべきでした。
それが「男女平等」と報じられているのは,日本メディアの学力の低さか,もしくは日本メディアが,日本人にはいまだに「ジェンダー」という言葉が根付いていないと判断した証といえます。

 

どっちにみちある種の「後進国性」が露呈してしまったようですショボーン