「二・二六事件」~高橋是清ゆかりの地 | 紙風船

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中学校と高校で社会科を教えています(いました)。街探検や銭湯が大好き。ピクトグラムや珍しいものが好き。でも一番の生きがいは、子どもたちに「先生の授業、たのしい」と言ってもらえることです。

明日は2月26日。

この日にちなんだ出来事と言えば,そう「二・二六事件」です。

 

1936年(昭和11年)2月26日早朝。

陸軍将兵の一部が政府首脳や軍部の要人を襲撃

その後国会議事堂をふくむ都心を占拠したクーデター未遂事件

 

ちなみにボクの亡父はこのとき15歳。

晩年の思い出語りの中で,大雪の朝だったこと。

戒厳令が布かれ家から出られなくなったこと。

不安な思いで何日も過ごしたことを話してくれました。

 

さて,このときの犠牲者の一人に高橋是清がいます。

 

 

若いころにアメリカ大陸にわたり奴隷労働しながらも,無事帰国。

その後,内閣総理大臣(第20代),大蔵大臣を6度(日本史上ただ一人!世界史上でも?),日本銀行総裁など歴任。まさしく波乱万丈の生涯,そして近代日本金融史上に多大な業績を残した人です。

 

 

その高橋是清さんにゆかりの地を2ヶ所紹介します。よろしければ何かの折に訪ねてみてください。


一つ目。高橋是清の邸宅があった東京・赤坂

今は邸宅はなく,「高橋是清翁記念公園」となっています。

皇居から青山通りを西へ向かって間もなく左側に木々に囲まれた庭園が見えます(都営地下鉄大江戸線「青山一丁目」駅から徒歩約5分、東京メトロ銀座線・丸ノ内線「赤坂見附」駅から徒歩約10分)。

 

 

 

中に入ると池,石橋,石灯籠が並ぶ日本庭園が広がっています。

こんもりした高台には高橋是清像が。

 

他に謎の石像があちこちに(なんだろう?儒教的な趣がするけれど)
 

 

二つ目。高橋是清邸が移築された都立小金井公園内「江戸東京たてもの園」(JR中央線「東小金井駅」および「武蔵小金井駅」または西武新宿線「花小金井駅」からそれぞれバスで5~10分)。

 

ここは「高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった,江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示している」施設です。

 

小金井公園全体が広大な敷地で歩いているだけで心地よいしいい運動になりますラブ。そして「江戸東京たてもの園」もすばらしい恋の矢

詳細は別にして,ここでは「高橋是清邸」のみをご紹介。

 

 


明治35年(1902年)落成。是清はこの建物の2階で暗殺されています。陸軍反乱部隊に6発の銃弾を撃ち込まれるガーンという凄惨な出来事です。満81歳でした。


最後に,なぜ高橋是清は陸軍将校に暗殺されたのでしょうかもやもや
それは軍事費増大を迫る軍部と,軍事費を抑制しようとした大蔵大臣高橋是清との対立が原因でした。

 

日本の軍部,とりわけ陸軍は1931年の満州事変以降,中国への派兵を繰り返し,なし崩し的に莫大な戦費が必要となり,世界恐慌にあえぐ日本経済にとって大きな負担となっていました。

 

高橋是清はこの流れを食い止めようとしたが故に殺されてしまったのです。そして事件の翌年,陸軍は盧溝橋事件を引き起こすなど暴走を続け,これが日中戦争(当時は,「支那事変」「日華事変」)に発展し,やがてアジア・太平洋戦争(当時は「大東亜戦争」)を招き,日本は破滅してしまいます。

 

ボクには高橋是清のような才能も政治力も根性もないけれど,

このような過ちを繰り返さないためにも,一人でも多くの人に,社会科(歴史)を学んでよかったと思ってもらえるように,

これからも授業をしていきます真顔