日本はもちろん、世界中で人気を博し、人々を熱くさせるモータースポーツ。そのモータースポーツにつきものなのが、レーサーの隣で、両手に花と言わんばかりに佇むレースクイーンの存在です。日本でもレースクイーンは花形とされ、レースクイーンに憧れを持つ人もいるぐらいです。日本が発祥である「SUPER GT」の世界において、レースクイーンを務めていたのが森田香央里さんです。森田香央里さんは、1981年1月14日生まれで、現在は39歳です。神奈川県横浜市の出身で、モカ、モカリンの愛称で知られています。ちなみに、このモカやモカリンは苗字と名前、それぞれの頭文字からつけられていることが一目瞭然です。
SUPER GTのレースクイーンとして破格の扱い
森田香央里さんが「SUPER GT」のレースクイーンとして登場したのは2007年の事です。通常、「SUPER GT」に限らず、モータースポーツのレースクイーンは、1つのチームに帯同するような形で、転戦していきます。そのため、シーズンの開幕に合わせて、チームのレースクイーンが発表されます。森田香央里さんの場合、2007年の開幕の時点ではまだレースクイーンではありませんでした。森田香央里さんが所属していたのはチームセルモで、現在に至るまで堅実に結果を残し続ける、「SUPER GT」の中でも名門とされるチームです。当然レースクイーンの質も高いのが特徴ですが、森田香央里さんは、2007年シーズンの途中から参加することになります。しかし、身長が171センチなどスタイルがよく、いかにもレースクイーン向きというポテンシャルもあって、まだデビューもしていないうちからオファーが集まるなど、破格の扱いを受けることになります。
人気はついにテレビへ波及
「SUPER GT」のレースクイーンとして破格の扱いを受けることになった森田香央里さんですが、その前はヨシモト∞ホールでネット配信されていた番組のアシスタントを務めたり、映画出演を果たしたりするなど、タレントとしての活動をしていました。しかし、レースクイーンとして当時かなりの人気を集めることになった森田香央里さんは、現在も続く人気番組である踊るさんま御殿にも出演を果たすなど、その知名度をどんどん上げていきます。東京モーターショーや東京オートサロンでは世界のTOYOTAのステージモデルを務めるなど、レースクイーンの世界では知る人ぞ知る存在へとなっていきます。「SUPER GT」、チームセルモのレースクイーンになってまだ1年も経過していない中での快進撃でした。その後、2008年にはチームセルモのレースクイーンチームでリーダーを務め、2009年3月の大阪オートメッセを最後にレースクイーンからの卒業を果たします。
会場での人気者
レースクイーンをしていた森田香央里さんですが、会場ではファンからのサインにも積極的に行っていました。森田香央里さんを含めたレースクイーンが登場する雑誌にサインをしてもらうのがよくあるやり方で、森田香央里さんも積極的にサインを行っていった結果、現場でその雑誌が完売する現象が起こったほどです。森田香央里さんはレースクイーンの中でもスタイルが抜群で、モデルのようだったと語る人が多いことでも知られています。その一方、インタビューなどでの受け答えでは少々変わった感覚をお持ちだったようです。森田香央里さんの変わった感覚の一例をご紹介します。森田香央里はとてもラーメンが大好きで、ハワイへ旅行に行った際も真っ先にラーメン屋さんに向かうなど、日本でも海外でもラーメンが大好きであったことがわかります。ハワイまで行ってラーメン、しかも男の人でも結構ガツンと来るようなラーメンだったそうで、あの体型をどのように維持していたのか、とても気になるところです。レースクイーンとしての活動期間は2年足らず、レースクイーンのチームを移籍して長く仕事を行う人が多い中で1つのチームでレースクイーンとしてのキャリアを終えた森田香央里さん、何かしらの美学を感じ取ることができます。
まとめ
森田香央里さんがいかにレースクイーンとしてすごい人だったのか、人気がとてつもなかったか、お分かりいただけたでしょうか。あのさんま御殿にレースクイーン時代に登場できたというのは、テレビ業界にも森田香央里さんの人気が知れ渡り、実際に現場で見たであろう芸能界の関係者がこれは逸材だ!と思っても不思議ではありません。レースクイーンとしてのデビューは少々遅めだったということもあるでしょうが、その時期にデビューしたからこそ一気に駆け抜けることができたなんて見方もできます。森田香央里さんが活動していたチームセルモの伝統カラー、赤とシルバーは、現在のチームセルモのレースクイーンたちにも受け継がれており、その人気は昔となんら変わりません。



