日本はもちろんのこと、海外でも当たり前のように食べられているインスタントラーメン。そのインスタントラーメンの生みの親であり、世界に誇る大ヒット商品カップヌードルを世に送り出したのが安藤百福さんです。1910年3月5日生まれ、日本が台湾を統治していた時代に台湾で生まれた安藤百福さん。両親を幼いころに亡くし、繊維問屋を経営していた祖父に育てられた百福さんは、父が資産家だった関係でその遺産で繊維会社を立ち上げ、事業を成功させます。実業家として成功した百福さんは立命館大学の二部で学び、大学を卒業。その後、太平洋戦争では憲兵に高速され拷問を受けるなど散々な経験をし、疎開を余儀なくされます。


戦後に入り、土地が安くリリースされていたことから中心街の土地をあらかた手に入れますが、食の大切さを気付かされ、食品事業への参入を決意。1948年の後の日清食品となる会社を立ち上げますが、GHQに脱税の疑いをかけられ、土地などは没収され、またゼロからのスタートに。ここで百福さんはインスタントラーメン作りに着手。作る前に百福さんは、5つの要件を定義し、それを満たすインスタントラーメン作りの開発に勤しみます。チキンラーメンは大成功をおさめ、爆発的な大ヒットを飛ばし、株式市場への上場を果たすまでになります。


ところが、アメリカに渡った際、箸もなければどんぶりもない中で、インスタントラーメンを食べてもらうことは大変であると気づき、カップで食べられるラーメンの開発に着手することに。苦難に苦難を重ね、最終的に販売にこぎ着け、1972年のあさま山荘事件で機動隊員がカップヌードルを食べる姿を見てこちらも爆発的な大ヒットに。東証一部上場を果たすなど日本を代表する食品メーカーへと成長します。その後、百福さんは息子たちに社長の座を譲り、会長として居続けるかたわら、ラーメンや食文化に関する調査を自らの足を使って調べていきます。92歳に代表取締役会長を退きながらも、会社のために尽力した百福さん。2007年97歳でこの世を去りますが、この3日前にはゴルフをするなど元気な姿を見せており、生涯現役の姿を見せ続けました。その後、生誕100年を迎えた2010年には様々な番組で百福さんの偉業が取り上げられ、NHKの朝の連ドラの題材に選ばれるなど、現在でも百福さんの存在は多くの人に知られています。今後、安藤百福さんのような人が出てくることを願うばかりです。