日本発祥の文化でもあるカラオケ、そのカラオケチェーンの中で、全国各地に存在しているのがシダックス株式会社。そのシダックス株式会社を創業し、現在は最高顧問を務めるのが志太勤さんです。1934年10月14日生まれ、85歳の志太勤さんは静岡県伊豆の国市の出身です。野球が大好きだったという志太さん、前年に甲子園で優勝した高校に入学し、野球部に入ります。レギュラーをつかみ、さぁこれからという時に激痛が走り、多発性関節炎と診断され、夢を絶たれてしまいます。その後、高校3年の時から国道沿いの大衆食堂を義理の兄から譲り受け、経営を行っていたという志太さん。しかし、あと一歩のところで災難に巻き込まれ続け、地元を追い出されるように東京へ。東京に住む知り合いに何度も何度も頭を下げ、1960年、東京都調布市に給食事業を運営する会社を設立します。定食ではなくカフェテリアのような形にするという、当時としては斬新なやり方で大きな成長を遂げます。


現在のようなカラオケ事業を展開するのは1993年のこと。ベースとなるのがレストランで、そこにカラオケボックスを一体化させるやり方は当時としてあまり一般的ではありませんでしたが、ファミリー層などを中心に受け入れられ、それまでカラオケの定番はスナックだったイメージを一新させ、結果的にシダックスは全国各地に展開されていきます。2001年にシダックスは株式の店頭登録を行い、志太さんの名前は経済界だけでなく政界にもとどろくようになり、規制改革推進会議のメンバーとして登場した他、シダックス野球部を立ち上げ、野村克也監督を招聘し、球団再編問題では自らのチームを新規参入させると息巻くなど、多くの話題が提供されます。


株式公開時には20億円分の株式を当時いた社員に無償でプレゼントするという、大変太っ腹な姿勢を見せた志太さん、その役員報酬ですが、取締役最高顧問の2018年3月期には1億6200万円を受け取っています。また、シダックスの株式を120万株保有しており、時価総額はだいたい3億円ほどです。ただ、実際は志太さんの資産管理会社が3割の株を保有し、志田さんの息子も保有していることから、一族での資産はそれなりのものをキープしています。代表取締役会長兼社長を務める志太さんの息子よりも役員報酬が多いなど、それなりのものはもらっている志太家。カラオケ業界ではなく、もう一度食品業界で勝負をかけ、より一層の成長に賭けています。