きものドクターYOSHITOブログ

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「思いのまま」日々感じた事を自由に書いています。

「私を信じるのなら人を千人殺しなさい。そうすれば、お前の望んでいる浄土往生が叶うぞ」

親鸞(浄土真宗の祖)は、弟子の唯円(ゆいえん)に言いました。

「とんでもありません、たとえお師匠様の仰せでも、私には千人どころか一人だって殺すことはできません」

唯円は返しました。

 

自分の心が善いから殺さないのではない。

自分は殺さずにおこうと思っていても、

百人も千人も殺してしまうこともあるのですよ。 親鸞は言った。

 

戦争で多くの人が死んでいくことに、私たちは知らず知らずのうちに慣らされています。

自分から善人になろう、悪人になるまいと意志固くすることも大事かもしれませんが、神様・仏様の知恵を仰ぎながら生きていくことの方がより大切なのかもしれません。🙏

 

参照:「早わかり!親鸞と浄土真宗」  三笠書房 早島大英著

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火付盗賊改方の長官、長谷川平蔵は、青春時代を過ごした本所の見まわりをしていました。

 

そこには、若き日、剣の修行をしていた道場がありましたが、今は荒れ果てていました。

道場の隣に、立派な桜の老木があるお屋敷がありました。その当時「桜屋敷」と呼ばれていました。

 

お屋敷の主人の孫娘「おふさ」は、稽古をしている平蔵達に、蕎麦や冷酒を差し入れていました。

剣友の左馬之助と平蔵は、当時19歳の純真なおふさに恋心を抱いていましが、おふさは豪商の近江屋へ嫁いでいきました。

 

しかし、その後のおふさの人生は、悲惨そのものでした。近江屋の主で、おふさの夫が暴れ馬に蹴られ、あっけなく死んでしまったのです。

 

おふさは、家督相続に巻き込まれ、ついに、家を追い出されてしまいました。

その後は、本所をうろついていましたが、評判の悪い御家人服部角之助の「おんな」となってしまいました。

 

盗賊の捜査していた平蔵は、ひょんなことから服部角之助が盗賊と関わっている事実を突き止めました。そして、服部宅を取り囲み、踏み込みました。

 

後日取り調べの時、平蔵と左馬之助は白洲の見える小さな小部屋で、おふさの様子をじいと見ていました。

 

「あれが・・・」左馬之助は顔面蒼白になりました。左馬之助が見たのは、自分の心の中に大切にしまい込んでいたおふさではなく、見違えるほど痩せこけて、目だけは鋭く光っている、女の姿でした。

 

おふさは、盗賊の梅吉をたらしこみ、

「近江屋へ押し込め」とそそのかしたのでした。

 

平蔵と左馬之助がたまらず、白洲から連れていかれるおふさの前に出ていきました。

しかしながら、おふさは二人の顔を見ても表情一つ変えませんでした。

 

おふさにとって、平蔵と左馬之助は、他の道場の門人同様、たいした関心が無かったのでした。平蔵が左馬之助の方を見ると、目には涙があふれていました。

 

役宅を出ていく左馬之助に平蔵が声を掛けました。

「また来てくれるだろうな?」

左馬之助は、こう返しました。

「おふささんを失った代わりに、おりゃ、お前さんをまた得たもんな」

 

その後、左馬之助は平蔵のよき理解者となり、力を貸すことを惜しみませんでした。

 

*「鬼平犯科帳 1・本所桜屋敷」 池波正太郎 文春文庫より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この映画を観たいと思ったのは、のんさんのインスタがきっかけでした。

ーーーゴミの山から、突然現れるカエル君に驚愕する年配の管理人。しかも、そのカエルくんは人の言葉を話せます。ーーー

そのショート動画を観て、観てみたいと思いました。

 

<感想>

大地震にまつわる4つの短編?で、年代別に構成されています。とても不思議なストーリーで、特にオチがあるわけではありませんが観ていて引き込まれました。

 

<印象に残ったシーン>

2025年のストーリーに登場する「カエル君」と大地震の原因の「ミミズ」との闘いは、もう少し見て観たかったです。年配の管理人がマンガ喫茶で生活しているシーンは、ある意味新鮮に観れました。

 

<見どころ>

のんさんの「カエルくん」の吹き替えをはじめ、名俳優の演技力が光る作品だと思います。

 

「・・・・、君は素晴らしいナースでした。」外科医の当麻は、看護師の中村にタクシーの窓から最後の声を掛けました。

映画<孤高のメス>は、日本を代表する作品の一つだと思います。素晴らし俳優陣は、世界でもっと評価されても良いのでは・・・。

【印象に残ったシーン】

●初めての難手術にのぞむ手術室にて

 看護師中村:「・・・平常心でやれば大丈夫。でも、私の膝はガクガク震えている。」

 「これを渡せばオペが終わる。私の手から先生の手に渡る最後のクーパー」

●当麻のよき理解者である先輩医師

 「・・・彼のメスは純粋で、孤高なんだよ。」

●学校の教室で、子供たちが合唱  

 児童:「ラララ、ラララ、ララララ~。ラララ、ラララ、ララララ~・・」

 先生:「もっと明るく元気にね!」

 

医療従事者の方々には、お礼を言っても言い尽くせません。

 

そして、訳があって看護師を辞められた方にもお礼を言いたいです。「貴方は、良い看護師でした。」

            

 

       

 

 

 

尊敬する人の中に、タレントのローラさんがいます。才能豊かで、可愛く努力家です。

もし、私がローラさんに着物をプレゼントするとしたら、づばり「鳶八丈とびはちじょう」です。

鳶八丈は八丈島で織られています。マダミという樹皮を煮て染めます。色はこげ茶で、柄はチェックです。

イメージ的には竹久夢二の美人画に登場する、目のパッチリした女性がイメージです。

 

でも、もしご本人が読んだら

「え~おばあちゃんみたい。ウフフフフo(^-^)o」で終わりそうですネ。ガーン

 

頑張れローララブラブ

 

<学校の給食時間に、誤って蛍光灯が割れて給食に混入した・・>というニュースを見ました。私にも、蛍光灯がらみの想い出があります。

 

小学生の頃、家族でクリスマスパーティーを行いました。初めて、シャンパンというものを目にしました。兄貴が知ったかぶりして、シャンパンの栓を開けた途端、「ポン」「ガッシャン」「パラパラ」。シャンパンの栓が、天井の蛍光灯に命中し、ケーキの上に破片がふりそそぎました。ケーキ

 

以来、家族でクリスマスを祝った記憶がありません。今でも、泣きそうな顔をして、たたずんでいる兄貴の顔を忘れられません。しょぼん

毎年夏になると、ベランダで朝顔を栽培します。朝顔の面白さは、種を蒔いて、水をせっせとやって、支柱を立てて、蔓を絡ませていく、という手間暇です。サボテンも良いのですが、育てる楽しさがありません。

 

手っ取り早く、朝顔の花を買う、という手もありますが、私は、毎年種を蒔きます。因みに、朝顔は短命なので、あまり浴衣以外の着物の柄には、使われません。

 

千利休は、せっかく咲いた庭の朝顔を全て摘み獲り、茶室に一輪だけ活けて、秀吉をもてなしました。さすが、肝が座っています。

 

考えてみると、仕事も最初から上手くいったのでは、ながく楽しめません。朝顔も仕事も、プロセスが、楽しいのではないでしょうか⁉🌺

 

散歩していると無残に根元から切り倒されている樹木をよく見かける。「もったいない事をするな~。可哀想なことをするな~」と思っていました。

 

ある雑木林を歩いていると、立て看板がありました。なんでも<萌芽更新>といって、雑木林のクヌギ、コナラなどの樹木を伐採し、切り倒したものは薪、炭、シイタケの栽培に使うとのこと。

 

そして、切株から芽が生えてくると、<もやわけ>といって必要のない芽を切り落とし、2~3本に整理し、下草を刈って15~20年育てましす。

 

この日本の美しい景観は、先祖代々の知恵と努力によって維持されてきていることを学びました。

 

雑木林は、私達の心を癒してくれる<オアシス>だと思います。🌳🌲

 

 

<印象に残ったシーン>

北条政子がついに、自身の冠番組を持つことになりました。その番組は「徹子の部屋」に酷似してました。そして、何故か?話し方も徹子に似せていました。

その後、秀吉に番組を乗っ取られ、地団太を踏んで悔しがります。

 

<家康の総理大臣の評価>

家康は、信長、秀吉に比べると華やかさに欠け、民衆の人気はありませんでした。信長、秀吉のように、リーダーシップに乗っかって、従っていれば民衆も楽なのかもしれません・・・。

 

しかし、家康は、独裁者になることを好みませんでした。映画の最後の方で、家康の演説があります。家康はどのような世の中を造りたかったのでしょうか?

「個人事業主」というネーミングが好きです。

 

お陰様で、R6 6月18日で独立して丸10年となりました。

(昭和61年に大学を卒業し、呉服業界歴は38年になります)

 

モットーは「地域密着」「お金を掛けないで工夫する」「報酬以上の仕事をする」です。

起業というには、‘おこがましい‘のですが、何とか続けてこれました。ありがとうございます。🙏

 

数年前、「廃業して田舎に帰ろう」と真剣に考えていました。

心が弱っていたのです。

しかし、だんだんと回復し「欲」が出てきました。

「着物の仕事をもっともっと極めてみたい!」と。

いろいろな方のご支援により、心も体も元気になりました。

 

和装業界では、創業100年、200年は珍しいことではありません。私は、まだまだ「駆け出し」です。

「葉隠」という本では、こう言っています。

50歳ぐらいになってから,徐々に仕上げるのが良いのである、そうこうして、多くの人には出世が遅いと思われるぐらいの方が、本当のものの役に立つというものである。

これからも、「たおやか」に続けていこうと思います。👘

 

*「たおやか」…どんな事があっても、めげることなく柔軟にかわす強さ