沖縄戦における戦争犠牲者の悲劇として語られる代表的なものの一つですね。遺品の回収は、ご遺族がご存命なら喜ばれることでしょう。現場のご苦労が偲ばれます。ありがとうございます。
誤解がないようにしておきたいのは、これは米軍が国際法違反攻撃をした結果ではなく、軍需運搬した対馬丸で本土に戻るにあたって疎開船として使用したがために起きた悲劇です。
国際法上でいうところの艦船への赤十字マークもなければ、申請もなかった。それに本土から沖縄に向かう際に軍事物資を運搬しており、また機関銃も搭載しいるし、そのための兵も載っていた。
攻撃目標とされる条件は揃っていた。
また日本軍は戦時中に赤十字マークを標示していた船を軍需運搬船として使用したこともあり、正直赤十字マークをしていからと言って、信用され攻撃目標から外されたか否かは正直微妙だろう。
対馬丸が見付かったことで、記憶の継承に記録継承というバックボーンが出来るのは非常に後世への教育として素晴らしいことであると思う。
犠牲になられた方からすれば本意じゃないにしても、戦争が起きることで無辜の子供たちが犠牲になるという歴史的な事実が残る。戦争をしてはいけないという言葉に重みを与える。
本来軍は、民を守るためのものである。民を守ることが国を守ることに繋がる。あくまでも民の命を守ることを考えなければならない。そういう意味で、対馬丸の出来事はそういう面が、異様なほど日本軍に欠けていたという事実の一つである。
沖縄戦においては、日本軍に欠けていることが、凝縮されており、軍として反面教師とし反省すべき点が本当に多数あると考えられる。
これは軍司令官批判ではなく、当時の日本軍に欠如していたものであり、個人を批判してどうこう言うものではない。それにそもそもかの大戦の展望がいまだにもって明らかではない。
大東亜共栄圏思想はあくまで思想であり、理念に過ぎず、それを為すだけの国力がまず日本にはなかった。これは明らかであり、物資不足による餓死者の多さや、弾薬が尽き夜陰に紛れた住建突撃、肉薄する必要があった戦術などから明らか。
何をゴールに始めたのであろうか。
ここの議論失く、戦争犠牲者を英霊とか持ち上げても、何のための犠牲だったのか。日本を護るためという言葉を言う人がいるだろうが、開戦当初日本は侵攻側であり、防衛側ではない。
戦争自体が日本を侮られたため、力を見せて日本を護る必要があったというのであれば、どう力を見せ、どこを頼りに講和にし何を得ようとしてのか。
判然としない。
日露戦争は、朝鮮半島の権益と朝鮮半島を大陸側からの防衛線と考え、護るために露に一気呵成の攻撃を仕掛け痛打を与えることで、米を間に戦況有利な状況下で講和に漕ぎつけ、権益と防衛線を護るというものだったはず。
かの大戦では、そういう絵図も話しも聞いたことがない。そう考えると何の犠牲だったのか・・・

