〜夏にナンパしてきた見た目がタイプの男の話〜

 無意味に目を合わせようとしないところが好きだった。大抵の男は面白がってひとみのなかに強引に羞恥やら恐怖やらを勝手に見出しては欲情するが、彼はいつも私が逸らす視線の先をぼんやりと俯瞰しているだけだった。

 私が煙草を吸い込む姿を彼は褒めた。女の臓器の一つか二つを満たすことで支配を済ませた気になるのだろう。それならば全臓器を変形させ、身籠る女のほうがずっと美しく自分を殺せる。軽い優越感と希死念慮が血液に混ざって全身を巡っていくのを感じた。
 お酒が進み、声、体、言葉、視界がのぼせる。好都合だ。
 私は好きな男と話すとき、無知なふりをする癖がある。男は感傷的になるための玩具だ。感傷に浸るには、まずは人生を嘆くことから始めなければならない。そのために無知は必須である。
 男に触れられると途端にこの世の全てがどうでもよくなって、いっそこの男との子を身篭りたいとか考えてみたりして、馬鹿らしくなってよく笑う。
私は男が絶えないのはこのためである。

同時に、この男も3ヶ月すれば忘れてしまうことを知っていた。季節が変わるより早く相手の全てを忘れてしまう。結局瞬時の忘我にぶら下がるのが手持ち無沙汰の趣味なのだ。

 呂律と舌、匂いと肌が混ざる。

 結局私は馬鹿だから、涙を流す芸術作品を見てもしばらくすれば展開などすっかりと忘れてしまう。一方で意味のない繋ぎ言葉や音を鮮明に覚えていたりする。皆やれ人生だ、愛だと賛美しているが、結局は手垢まみれのパノラマ作品に過ぎない。結末や展開よりも寧ろその時々の挿絵のほうが重要なのである。

だからこそ私は女の仮面を今日も纏う。生理がきて、あの男は私の体内からすっかり消えた。私自身が捨てられた繋ぎ言葉なのかもしれない。品位の足りない不協和音が夏の夜に消えた。