マトモできちんとしたいい人が苦手だと書いた事について、もうちょっと書いてみたいと思う。

何で苦手なのか。

それは、私自身が人間には裏も表もあって、良い部分も悪い部分も、誰もが必ず持っているという事を身を以て知っているから。

人が手のひらを返したように豹変する事も、自分の中にも、認めたくないくらいドロドロとした憎しみが簡単に生み出されてしまう事実も、知っているから。


だから、一般的にマトモできちんとしたほど、その裏を隠しているか、押さえつけているか、とにかくアンバランスな感じがしてしょうがないのだ。

開き直ってネガティブなエネルギーをまき散らすというのも、お勧めしないけれど、自分を誤摩化さずに素直に表現する事の大切さと言うか、そうしないといつかどこかで、その歪みに耐えられなくなったとき、人は自分を見失って、爆発してしまう。


弱くて結構、出来なくて結構、怒っても良い、泣いても良い。

誰かに対して、自分を繕う必要もない。



未熟で不完全だからこそ、愛おしい。



だから、そのままで、喜びも悲しみも、素直に表現していい。

ただ、それによって相手の同情を引こうとか、尊敬してもらおうとか、そう言う事は期待しない方が良い。

ただただ、自分の気持ちを素直に、発信していれば良いだけ。


そんなに簡単じゃないかも知れない。

でも、それが出来たなら、絶対に味方が出来るし、絶対に不幸にはならない。



社会的に、一般的に「マトモできちんとしてる人」と思われる事の意味は、あまりない。

まあ、私の価値基準では、ない、としておこう。

それがとても大切だと信じて疑わない人もいるだろうから。

私も、昔はそうだったから。

そして、ニューハンプシャーの人も、そう信じているらしいから。





もっと肩の力を抜いて自分らしく生きる事が出来れば、こんなに幸せな事はないのに。