色々な人のブログを読んだり、話を聞いたりしているうちに、段々と自分がまだまだ縛られている事に気づかされる。
これでもかなり自由になったと思っていたのに。
一つ前のブログでは環境について考えを持っているけれど「何でわざわざそんな事を言わなきゃいけないんだ?」と書いた。
でも、逆に考えると、何で自分の考えをもっと積極的に人に話さないのだろう、という事になる。
その二つくらい前の「オープンである事」というブログでは、昔親友に「あ、別に知りたくないから」と言われた事で拒絶感を感じたと書いてある。
私の問題は、自分の考えや意見は、興味のある人にしか話したくない、話しちゃいけない、話しても無駄、という考えみたいだ。
相手が興味を示さない限り、自ら積極的に考えてる事を話さない。
それが自分に取って大切なものであればある程。
なぜ、相手を選ぶのだろうか。
誰がどう思おうが、自分の意見が汚されたりする事はないのに。
自信がないからなのか。
それから、私に興味を持ってくれる男達に、同じ気持ちを返せない事が苦しいとちょっと前に書いたけれど、それだって、何で苦しいのだろう?
相手が何を望んでいるかなんて、私の知った事ではない。
私はそのままの私で、思う事をし、思う事を表現して伝え、相手がどうであれ、愛せるだけの分、愛せばいい。
もし、愛する相手が複数になっても、私を愛してくれる人が複数になっても、無理に一人を選ぶ必要もなければ、愛してくれる人達の愛を受け入れない必要も、どこにもない気がする。
そう思えるようになってきたのは、私が他の男ともデートをしている事も気にせずに誘ってくれる甘えん坊の男や、私がゆっくりと時間をかけたいと言った事を尊重してくれる可愛くて頭良くて性格もいいけれど、声が好きになれないいい人(名前付けないとね、長すぎ!笑)の存在があるからかなって。
オンラインデートをしていると、すぐに結論を出したがる男達に会う。
好きなのか、嫌いなのか。僕に惹かれてるのか、惹かれてないのか。
「うーん・・・まだ分からない」なんて言うと
それは好きじゃないってことだね。
なんて勝手に解釈して、一人で傷ついて、私に見切りをつける。
早っ!(笑)
一生懸命に自分の考えなんかを話しても、見た目なんかで判断されたりする事もしょっちゅうだし。
私の考えてる事なんて、こいつらには興味ないんだって思った事もある。セックスは必ずしたがるくせに、ね。
そんな感じで、私は自分の表現の場を「興味を持って聞いてくれる人のみ」に絞ってきてしまったのだ。
自分を理解してもらうためには、表現しなければいけない。
表現しないで分かってもらおうというのは、そりゃ、無理ってもんだ。
もっと自由に、私の人生に関わってくる人達に、私の全てを表現しよう。
そこから彼らが何かを得るか、何も得ないか、それは彼ら次第だし、私の知りうる所ではない。
何年も経ってから、ある人の何気ない一言が思い出されて「ああ、そう言う事だったのか」と思う事だってよくある。
どんな出会いも、きっと意味がある。
私が出し惜しみをすることは、きっと私の存在を、私との出会いを、私を取り巻く人達にとって、意味の薄いものにしている事になるのだろう。
そして、それは、きっと宇宙の意志(宇宙に意思があるならば)に反する事。
もっと自由に自分を生きて、自分を表現していこうと思う。
これでもかなり自由になったと思っていたのに。
一つ前のブログでは環境について考えを持っているけれど「何でわざわざそんな事を言わなきゃいけないんだ?」と書いた。
でも、逆に考えると、何で自分の考えをもっと積極的に人に話さないのだろう、という事になる。
その二つくらい前の「オープンである事」というブログでは、昔親友に「あ、別に知りたくないから」と言われた事で拒絶感を感じたと書いてある。
私の問題は、自分の考えや意見は、興味のある人にしか話したくない、話しちゃいけない、話しても無駄、という考えみたいだ。
相手が興味を示さない限り、自ら積極的に考えてる事を話さない。
それが自分に取って大切なものであればある程。
なぜ、相手を選ぶのだろうか。
誰がどう思おうが、自分の意見が汚されたりする事はないのに。
自信がないからなのか。
それから、私に興味を持ってくれる男達に、同じ気持ちを返せない事が苦しいとちょっと前に書いたけれど、それだって、何で苦しいのだろう?
相手が何を望んでいるかなんて、私の知った事ではない。
私はそのままの私で、思う事をし、思う事を表現して伝え、相手がどうであれ、愛せるだけの分、愛せばいい。
もし、愛する相手が複数になっても、私を愛してくれる人が複数になっても、無理に一人を選ぶ必要もなければ、愛してくれる人達の愛を受け入れない必要も、どこにもない気がする。
そう思えるようになってきたのは、私が他の男ともデートをしている事も気にせずに誘ってくれる甘えん坊の男や、私がゆっくりと時間をかけたいと言った事を尊重してくれる可愛くて頭良くて性格もいいけれど、声が好きになれないいい人(名前付けないとね、長すぎ!笑)の存在があるからかなって。
オンラインデートをしていると、すぐに結論を出したがる男達に会う。
好きなのか、嫌いなのか。僕に惹かれてるのか、惹かれてないのか。
「うーん・・・まだ分からない」なんて言うと
それは好きじゃないってことだね。
なんて勝手に解釈して、一人で傷ついて、私に見切りをつける。
早っ!(笑)
一生懸命に自分の考えなんかを話しても、見た目なんかで判断されたりする事もしょっちゅうだし。
私の考えてる事なんて、こいつらには興味ないんだって思った事もある。セックスは必ずしたがるくせに、ね。
そんな感じで、私は自分の表現の場を「興味を持って聞いてくれる人のみ」に絞ってきてしまったのだ。
自分を理解してもらうためには、表現しなければいけない。
表現しないで分かってもらおうというのは、そりゃ、無理ってもんだ。
もっと自由に、私の人生に関わってくる人達に、私の全てを表現しよう。
そこから彼らが何かを得るか、何も得ないか、それは彼ら次第だし、私の知りうる所ではない。
何年も経ってから、ある人の何気ない一言が思い出されて「ああ、そう言う事だったのか」と思う事だってよくある。
どんな出会いも、きっと意味がある。
私が出し惜しみをすることは、きっと私の存在を、私との出会いを、私を取り巻く人達にとって、意味の薄いものにしている事になるのだろう。
そして、それは、きっと宇宙の意志(宇宙に意思があるならば)に反する事。
もっと自由に自分を生きて、自分を表現していこうと思う。