10代後半から20代半ばくらいの頃、私はとてもジャッジメンタルだった。
人の言動やら、服装やらで、ジャッジして、自分もジャッジされないように気を張っていた。
24でNYに来た。
それでもやっぱり、人を厳しくジャッジしていた。もちろん、自分自身のことも。
人にも、自分にも厳しくしていた。
それが、向上するに当たって必要だと思っていた。
バカにされないように、なめられない様に、甘く見られないように、肩肘はって生活していた。
英語が出来なくてもそれは英語が第二外国語だからであって、日本語でなら完璧に論破したり説得したり出来るのに、と悔しい思いをしていた。
アメリカ人が英語を話すのは当たり前で、そんなことで自分をバカにされたくなんかない。
教養のないアメリカ人でさえ英語を話すのに・・・。そんな風に悔しい思いをしていた。
でも、だからと言って語学に精を出したわけでもなく、「悔しいけれど、私の目的は英語の勉強じゃない。」と言い聞かせていた。
「こうあるべき」「こうするべき」
それを基準に人をジャッジして自分を規制してた。
日本ではきっと「しっかりしてて、良識のある人」になるのだろう。
羽目をはずすなんてことは無かった。
それをして楽しいのはその時だけで後で絶対に後悔したり、恥ずかしいと思ったりすると思っていたから。
いつ位からだろう・・・もう少し楽に生きてもいいじゃないかと思い始めたのは。
自分の性格が根本的に真面目で少しゆるくなった位じゃ、「非常識な人」にはなり得ないという、変な自信を持つようになってから、少しずつ自分を解放し始めた。
このブログをしばらく読んでくれている方なら、たまに触れる話題だから分かると思うのだけれど、付き合う、付き合わないと言うことと、肉体関係を持つことは別だと考え始めた。
人との関係を築くのに、セックスは大して役に立たない。
でも、関係が築かれた後の二人の間のセックスは、非常にパワフルだ。
セックスに限らずだけれど、少しずつ人をジャッジする事をやめ、自分がジャッジされてるかもと気に留める事から自分を開放していった。
ジャッジされているかもと気にするのは、自分が人をジャッジしているから。自分で自分の首を絞めているようなものだし、Fearが私の人生を制限しているなんて、まっぴらだ。
人は自分が思うほど自分のことを見ていなかったりもするし。(苦笑)
ブログを書き始めて、心の中を分析して、だんだん考えがシンプルになってきた。
幸せな気分でその時その時を楽しめるような人生がいいと。
最近ブックマークしているブログは、お笑い系が多い。
日常のちょっとしたことを、簡単な漫画で書いているブログとか。
癒される。
そんな風に私も、おおらかに、失敗を笑い飛ばしたりしながら、小ざかしい心理的駆け引きなんてしないで、毎日を明るく楽しめるようになりたいと思う。
それが、最近の私。