生活というもの | 在日韓国人ですけど

生活というもの

私は在日韓国人で、書類や他の方とは違う登録や選挙権の有無など、
日本での生活において様々なことがあります。
それはあるときは障害と呼べるようなものかも知れないし、
環境によっては何事も無く受け入れてもらえるのかもしれないし…
でも、幸せに生活していくには今の私には『国籍』は何てこと無いものです。
(なんてことある方には申し訳ないですけど)

そういう意味で言うと国籍はアイデンティティーにかかわる事だけど
そのために幸せになれないということではないみたいです。
あくまでも私の話です。

菊蔵さんが新しくブログを作り、自らの病気のことをそれを知らない人たちに知らせてくれています。
何ができるとか何かしなければ…というすごい意気込みとかではなく、
そういうことを知って共存をしていくことを学ばなければなぁ~と
思いました。

菊蔵さんは失ったものもあったようです。もちろんそれを幸、不幸のどちからかに決めようということではありません。
でも、私が国籍で悩んだ(そんな時期もあったのです)よりも問題は
深かったかもしれません。
それは、長い間『原因』というものが分からなかったから。

私は以前お話したように前夫から逃げてきました。
その時の私は声が出なくて話ができませんでした。
その人の前だけですが。
そして、普通にご飯を食べるとか、ただそれだけなのに涙が出ていました。
そんな私を誰も病気とは言いませんでした。
だから私が悪かったのです。
神経が弱いからそうなるとか、精神的に弱すぎる、もっと強くなくちゃ。
そういう風に言われて…。
自分がいけないんだと思い続け声は出ないままでした。
結局逃げてきましたけど。

後に病院で『心因性反応』という病名が付きました。
ほっとした瞬間でした。
私は神経が細く弱い人間だ、ということではなく、
心にショックを受け一時的に心が閉ざされてしまった状態、
いわゆる病気だと認定されたことで私の心は救われました。

これを書きながら思い出し涙が出てきました。
どうしようもできない…今までこんなこと無かった…
でもどうしていいか分からないそんな中…励ましてくれたり
母は心配してくれて…
でもその時私は病気だったのです。
頑張ればどうにかなる、ということではなく、
病気の原因が無くなればよかったのです。
それが分かるまでに何ヶ月もかかりました。

話がだいぶそれました。
自分でも分からない現象。
それに病名が付き原因が分かることって、病気が治ったわけではないのですが、
少しほっとします。

長くなってしまいました。