※この物語はフィクションです。
――剣と魔法の世界。
数日前に見た夢は、確かそんな世界で自分自身が戦っている夢だった。ダークグレーのロングコートを着て電気を纏って金色に輝く黄金の剣を片手に、自分の倍ほどもあるだろう巨大な牛の様な猛獣を斬り倒す。実に爽快で、実に無邪気な夢だった。きっとそう言った≪剣≫や≪魔法≫は、世間じゃ≪中二病≫とでも言われるのだろう。
無論、高校生となった俺にとっては中二病などとうに卒業している。昔のように、剣や魔法と言った無謀な願望など持たずに、しっかりと現実を見て生きてきた。
だが、夢の中で見た、かつての夢の世界は、今もなお、心のどこかで憧れを感じているかのように思えた。
「それじゃお前ら、九月まで死ぬんじゃねぇぞ!!」
女性教師が教卓から身を乗り出し、生徒を一喝。暑苦しい声が、ただでさえ暑苦しい蝉の鳴き声と入り混じって、教室中に響き渡る。窓に掛けられたカーテンは最早意味を成しておらず、夏の日差しが窓から差し込み、教室を眩しい程に明るく照らす。
今日で一学期が終わる。すなわち、明日から一ヶ月余りの夏休みを迎える。
ほんの、少しの間だけ。
この世界は、今日も正常に動いている。そう感じるのは、今日もまたいつもと変わらない退屈に満ちているからだ。まぁ、いつもと変わらないと言うのは当然のことなのではあるが、外国で戦争が起きたとか、新たな環境資源が発掘されたとか、何にでもなれる万能細胞ができたとか、そういった現実の変化ではなく、何か全く別の空想的な世界に身を沈めたいと非日常的な生活を期待する、そんな自分がどこかにいた。
――俺はもしかしたら、この普通すぎる日常に飽きていたのかもしれない。
「なぁ遥人、海と言えばどこがいい?」
「海? 皆でなんかすんのか?」
高校の中庭。突然の問いに対して、俺は逆に問い返した。俺の隣に座る親友・カズは。冷えたCCレモンのボトルを口にくわえ、ぐいっと飲み干してから言った。
「そりゃあ夏と言ったら海に花火に肝試し!! 夏休みにやる事なんて盛りだくさん!! ということで、男女誘いまくって青春を満喫しようではないか!!」
カズは急激にテンションを上げて解説してくれているのだが、俺はカズほどハイテンションな人間ではないので、いつも通りのテンションでさらりと「じゃ、熱海らへんがいいかな」と答えた。
このカズの青春したいがための計画は、驚異的な人間チャートにより即メンバーが出そろった。カズの希望通り、男女比も5対5といい感じに決まった。日時は七月末、場所は俺が特に理由もなく決めた熱海がそのまま採用となった。
「う……ぐぁ……」
目覚めた場所は、高校の中庭に立つ大きな木の根元に作られたベンチの上。おそらく、夏の企画が決まり、解散した後そのままここで寝てしまったのだろう。自分でも聞いて驚く話だが、それほど俺は疲れていたのかもしれない。いや、実際に疲れていた。
気づけば夕暮れとなり、昼間、あれほど澄んだ青色だった空は、今は暑苦しさを感じさせるほどに赤く染まっている。もう六時は過ぎているだろう。
「帰る、か……」
変に傾いた首をゴキゴキと曲げながら、俺は呟き、隣に置きっぱなしになっていた鞄を手に取った。幸運にも物は取られていない。
校門を出たところで、俺はいったん立ち止まった。高校は午前中で終業式を終え、午後は部活動だったり暇人が時間を過ごしている。横の駅に続く一本道を見れば、若い男女――俗にリア充と呼ばれる――が一定の距離を保ちつつ並んで歩いている、
何もかもが新鮮に思えた。部活や青春が良いという訳ではない。この高校生活上ごく普通な生活が、今日を持って一ヶ月余り中断される、ということに対してだ。
俺は右側に体を傾け、若いカップルの後を追うように――あくまで帰るために――下り坂の一本道を歩き始めた。
特に夏休みに何かをする予定があるわけではない。今のところ予定という予定はカズプロデュースの熱海旅行くらいであり、部活も一応硬式テニスをやっているものの、コート上の都合で週三で半日練、週二で一日練、週二で休み、なおかつ時期によっては三連休もあったりするので比較的ルーズであり、体力的にそこそこの自身がある自分にとってはさして苦ではない。
宿題も乞うことだけあって気持ち悪い程の量を出されてはいるが、休みの日にでも少しずつ片付ければ終わらない量ではない。大体の人は溜め込んで最終日に悲鳴を上げるものだが、少なくとも俺はそのようなへまはしない、と謎の自身に満ちている。
高校の最寄り駅に行くには、学校を出て右に曲がり、一本道を突きあたりまで進む。突きあたりで横断歩道を渡って左側に向かえば、駅に到着する。突きあたりに到着した俺は信号が青になっていることを確認してから横断歩道を渡った。
その直後だった。
「おい、トラックが突っ込んでくるぞ!!」
誰が叫んだのかはわからないが、バリトンのきいた男性の野太い声が、辺りに響いた。俺は即座に声の方向を見ると同時に――――
――――世界が、真紅に染まった。