今日も終日厳しい暑さだった。
我が家の畑の夏野菜は、例年になく実りが多くて、紫蘇の葉も茂り方も例年よりずっと濃い。
それでも、明日は当地の花火大会で、これが過ぎるとこの町のひと夏の賑わいは、潮が引くように消えてゆく。
子どもが小さくて海に泳がせに連れて行った頃は、7月の最後の日曜が終わると、ああ夏が征くと思ったものだった。
土用波がよせるようになるとクラゲが出るので、海にはあまり近づきたくなくなるのだった。
8月初めに、南三陸と松島と仙台を訪問した。
見たいと思ったものは見てきた。
津波で壊れた南三陸の防災庁舎の姿と、そのエピソードを語った語り部の方の話は忘れられない。
松島では、立ち食いの屋台でホヤを食べた。
20年以上も前、2年ほど職場で一緒だった若い同僚の女性が、宮城出身で、ホヤを食べたいとしきりに故郷を懐かしんでいたことが思い出された。
七夕の準備であわただしい仙台では、街を見ずに、郊外に建てられたマンション型の老人ホームに入った古い友人を訪問した。
20年以上会っていなかったが、時間の隔たりを感じることなく和やかに話した。
別れる際に再会を約すことはなかった。
連絡は取り会えても、もう一度会えるかどうかは全く分からない。
彼はもう、東京までも出るつもりはないと言っていた。車の免許も返納したという。
豪華なホテルのようなエントランスを持つマンションで、奥さんと二人でゆっくり余生を過ごすことに決めている風だった。
私は何度も彼と会いたいと思うけれど、仙台まで繰り返し行けるかどうかは、何とも言えない。
だから二人は、再会を約さずに別れた。
彼もらいものだけどもううちでは食べないからと言ってよこした何種類ものレトルト食品は昨日からさっそく妻と食べているのだけれど、もう飲まないからと言って持たせてくれた国産の高級ウィスキーは妻には見せず隠してある。
彼のことを思い出しながら、書斎でちびちび飲むつもりだ。
私のささやかな生活と関係なく世の中は動いているが、時代の流れがどうであれ、私の時間もまた、確実に過ぎて行っていると、ことさらに思い知ったこの夏である。

写真は松島で食べたホヤの焼き物。