七日目は朝,
ベネツィアを発って、バスでミラノに向かいました。

ローマからフィレンツェ、フィレンツェからベネツィアも同様でしたが、300キロ前後、三・四時間程度のバスの旅です。

途中で必ず20~30分ほどのトイレ休みがありました。
土産物屋を兼ねた、日本語で買い物のできるサービスエリアで停まりました。考えようによっては、土産を買わせるための旅行業者の特約店のようにも見えました。
休みの時間を比較的ゆったりとることについて、毎回添乗員が「運転手さんの労働時間に関する協約がありますから」と停まる直前にバスのマイクで言っていたことを思い出します。
もしかしたら、あれは無駄な時間だなどとクレームがついたことがあったのかもしれません。

アメリカ・ユタ州の観光旅行のバス事故のニュースを聞き、事故にあわれたかたがたに人事ではないと同情の気持ちを強く持ちました。
そして改めて、無事に帰れてよかったと思いました。
事故の原因は、断片的なニュースを聞くだけではなんともいえません。
しかし、イタリアで二時間走ると30分程度の休みを運転手にちゃんと取らせるということが、制度化されていることの意味を、改めて噛み締めたのでした。

日本でも、規制緩和による新社の参入で競争が激化し、バス会社の値下げ競争が限界まで進んで、運転手にとっての過重な運行スケジュールが、ひとしきり重大な事故を生んだことがあったのを思い出します。
競争原理に基づく経営合理化がなお金科玉条のように言われていることの怖さを、改めて思ったのです。

添乗員は、観光スケジュールについて、「ストがあったりするとまた変わってしまいます」と何度か言いました。
いつからか日本では、働いている人間はストをすることがあるという、当たり前のことを、忘れていると思いました。
イタリアの運転手の協約も、そうした環境の中で生まれたものに違いありません。

旅の前にも旅の最中にも、イタリア人の大雑把さやいい加減さをずいぶん聞かされましたが、旅行中は誠実で義理堅く、郷土に誇りと愛着を持っている、古風で人間味のあふれた彼らの姿を何度も見せ付けられました。風景だけでなく人の生き方にも数十年前に映画で見たイタリヤ社会がそのまま残っているようで、印象深かったのでした。

ミラノの町は駆け足で駆け抜けた感じです。


昼食の後 スフォルツェスコ城やドゥオーモを見学しました。

ドォーモは14世紀に礎石が置かれてから500年かけて建設され、19世紀初めに完成したという話です。

その息の長さに驚いてしいました。

ゴシック建築のにぎやかさにもちょっと疲れたましが、観光のためか、教会の屋根に上らせるというのもなんだかおかしい気がしました。しかしおかげで、これでもかといわんばかりの念入りな彫刻の姿を間近に見ることができました。

そういう意味では、スフォルツェスコ城で見たミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ像」は、荒削りな姿が、ゴシック建築の畳み掛けるような装飾性と対照的でした。
89歳になって視力を失いながら、ミケランジェロは死の数日前まで彫り続けたという話です。

夕食は、こじんまりとしたレストランで、ツアーのメンバーともなんとなく仲良くなり、ワインをたっぷり飲んで最後の夜を楽しみました。

① ピエタ像
老人とブログの海

② ドォーモ
老人とブログの海