息子と娘に年賀状を作って昨日土曜日の昼に送った。
10タイプほどサンプルを作ってメールで送り選ばせたが、催促しないと選択結果を知らせてこなかった。しかも彼らが別々に選んだサンプルは同じものだった。二人の交際関係はほとんど重なっていないから良いようなものだが、義父やその他数名には重複して年賀状を送っているかもしれない。それで、娘には五枚だけ別タイプを混ぜておいた。兄と重なる可能性のある宛先にはそちらを使いなさいと、その理由をメールで送ろうと思っていたら、夕方、土曜日の電話定期便があったので、口頭で伝えておいた。
年賀状は二山にしてならして少し硬い紙で包み、封筒に入れてメール便で送った。その硬い紙を捜して書斎の本棚をかき回したら、古いA☆RAが出てきた。
なぜ取ってあったのか判らなかったが、記事を見ないで裏表紙をちぎり取り、息子宛の年賀状を包んだ。
娘宛には、A☆RAの表紙ではなく手近かにあった古い模造紙を使った。
夜、妻がお茶を入れて書斎に来た。ガラクタの山の上に放り出してあるAERAを見て、読んでも良いかと聞くので、捨てるつもりだから良いよと答えた。しばらくして妻が戻ってきて、「これは捨てられないわよ、Kさんが載っているんだもの」と言った。
私は、20年前のA☆RAを買ってとっておいた理由を思い出した。
改めてKの記事を読んでみた。
A☆RAに登場する15年前に私はこの町に来て彼とであった。
情熱的で破天荒で勉強家で天性のアジテーターだった。
集まった数百人の市民の前で思いをこめて自作の詩を朗読し、いくつもの勉強会を作っては壊し、酒を飲みジャズを聴き、のどかな田舎町に渦巻きを巻き起こし続けていたが、数年後に職場の転勤で遠くの町に移っていった。
外に飛び出して駆け回っている夫を当てにせず、Kの妻は自分も働きながら、二人の子供を育て、家を切り盛りしていた。物静かな印象だったが、話してみると驚くほど芯は強かった。
Kの転勤に伴う転居のとき、当の夫は外国に行っていて不在だった。
私ともう一人Kの友人が朝から引越しを手伝った。
私が車を出して彼の妻子と手伝いの友人を乗せ、トラックに伴走して新居まで走った。
そしてKと私の付き合いは途絶えた。
その十数年後に書店で何気なくA☆RAを覗いて、彼が特集されているのを見た。驚いてそのA☆RAを買って家で読んだ。妻にも見せた。
まだ50前だというのにすっかり白髪になった彼が、雑誌の中で笑っていた。
私が知っている頃の彼と活動スタイルは全く変わっていないけど、本を何冊も書き日本中を講演して回っていることが分かった。勤めは続けているようだが、「やりたいことが出来ない」と記事の中でこぼしているので、早晩辞めるだろうと思った。
これは彼の元の同僚に聞いたことだが、やはりその記事の少し後で退職したらしい。
一度だけ、Kの家に電話をした。懐かしい奥さんの声がして、簡単に挨拶をし、彼を呼んでくれた。めったに家に居ないので、一度で彼を捕まえられたのは本当に偶然だったらしい。
ちょっとした講演会を企画していたので、その講師に頼もうとしたのだが、時間が折り合わずすぐに無理だと分かった。近況を述べ合うこともせず、ではまた、と電話を切った。
Kとは特に偉ぶった風でもないので昔どおりにざっくばらんに話せたが、彼の生活のペースは全く私とはかけ離れたものになっているようだった。
さらに十年ほどたって、今もこの町に住んでいるKの元同僚と昔話をする機会があった。Kの話が出たら、「Kが今何をしているかは知らないけど、奥さんとは別れたみたいだな」と彼が言った。それは奥さん同士の話から得た情報のようだった。
十数年前私の車で引っ越した、働き者の優しい奥さんと繊細そうな娘とまだ小さかった息子を思い出した。
その後のKの消息は全く知らなかったので、ネットで検索してみた。
彼はちゃんとそこにいた。
私は彼自身よりも彼の奥さんに会って、彼の思い出話をたくさんしてみたいと、不意にそう思った。
裏表紙のなくなったA☆RAはもうしばらく私の部屋にとどまることになった。