ここ で触れた探偵小説を、昨日やっと読み終えた。丁度貸し出し期限の日だったので、知人に会いに行く前に図書館に行って、もう一冊とあわせて貸し出し延長手続きをとり、夜に読み終えたのだ。

彼女の小説は背景やプロットの書き込みが少しくどくて、途中で一度は投げ出したくなる。だから、今回は途中で最後のところを読んでしまった。それから安心して、途中に戻って読み続けた。

要するに根気がなくなっているのだ。


二つ印象に残ったこと。

一つは、刑務所の民営化。

アメリカに、民営化された刑務所があることは聞いたことがある。

そして、犯罪者の増加につれて日本でもこの種の「改革」は現実に進められている。

わが国初の民営刑務所がどこかで開設されたかされるという話を最近聞いた。

そのような民営化が何をもたらすかをこの小説は告発している。

行政の簡素化とか、公務員の腐敗や怠慢とかが喧伝されて、公的な仕事の民営化が行政改革の柱のように言われているが、その結果本来利益を追求せずに行われるべき(あるいは追求することが無理な)公的サービスが利潤追求の手段として、弱いものを食い物にする企業活動の餌食になっている例を、私たちは最近いくつも目の当たりにしている。

その有様が生き生きと描かれていた。

もう一つは、この作者の小説の特徴だが、女性が生き生きとしていること。相変わらず男が仕切っている社会の中で、自立を貫くためにしたたかに闘う女性たちが心地よい。


2000年に翻訳されているので、原作が書かれたのはもっと前のことだ。それでも今の日本のことを思い浮かべながら読んで、十分面白かった。


もちろん、例えば「新宿鮫」シリーズや「池袋ウェストゲートパーク」シリーズがどれほど面白くとも、あれを読んで日本社会が分かったと思われては困るのだから、サラ・パレツキーのこの小説がアメリカ社会の現実をありのまま描いていると考えるのは大間違いだと思う。

でも、現実社会の現在と未来の一面を(仮にデフォルメしていても)的確に切り取っているという面がなければ、これらの小説は荒唐無稽な活劇という印象で終わってしまう。

この小説の持っているリアリティーはそのような活劇話をはるかに越えているといつも思うのだ。