今回は友人の案内で歩きながら、昭和の良き時代の想い出を聞くことが出来ました。その素敵な話を皆さんにもお伝えしたくて、長くなりますが最後までお付き合いお願いします。

相模川を歩く/神沢不動と昭和の思い出を訪ねて
久し振りに、相模原の友人と歩きに出かけました。
その場所は、相模原市大島在住の友人宅傍の神沢不動尊と、その周辺の相模川の河原です。
歴史ある神沢坂
友人宅から歩いて神沢坂へ向かいます。
この神沢坂は、日比神社の少し先にある坂道です。
折り返しの所に、「神沢坂」と書かれた道標がありました。
昭和61年3月と書かれています。
横にも文字が彫られています。
「神沢集落から上の段に通じる坂なのでこの名であります」と記されていました。
この神沢坂は河岸段丘につくられた坂で、途中で折り返して登る道。
清水は雨が降らなくても、どこからか湧き出してくるようです。

静かな坂道に、清らかな水の音が響いていました。
歴史ある神沢不動尊
坂を下っていくと、神社が見えてきました。
境内脇には長い階段があり、その上には稲荷大明神の祠があります。
お堂内の様子。
この不動尊は、バス停「水場」から南西へ約300メートル、相模川へ下る神沢坂の下にあり、「神沢不動」「お不動様」と呼ばれているようです。
神澤不動尊の創建年代などははっきりしていませんが、伝承によると「天文5年(1536年)」に創建されたといわれています。
現在の本尊である木造の不動明王坐像は、「天和3年(1683年)」に寄進されたものだそうです。
歴史のあるお不動様のようです。
静かなお堂に手を合わせ、お参りをさせていただきました。![]()
お不動様の夜祭りの想い出
友人の話によると、昭和の頃にはこのお不動様のお祭りはとても賑やかだったそうです。
祭りには沢山の夜店が並び、子供達はその日を楽しみにしていたとか。
子供だった友人も100円玉を持って、買い物したことを覚えているそうです。
でも、隣でおじいさんに1000円程のおもちゃを買ってもらう子供を見て、羨ましかったそうです。当時はラーメン一杯30~50円位の時代です。
また、田舎芝居も行われていたそうで、八王子から芝居の一座が来ていたそうです。
友人の記憶では「千鳥慎太郎」という役者で、「岸壁の母」が演じられた事を覚えているそうです。
家族で長い坂を下り、夜店で買った綿あめを手にしながら芝居を見る。
そんな情景を思い浮かべると、なんとも楽しそうな、良き時代だったのだろうと思います。
もし出来ることなら、私もぜひその様子を見てみたいものです。
境内から見る参道下の様子。
こちらは下から見上げた本堂。
当時村人に親しまれていた風情が漂っているように感じます。
相模川の河原へ
参拝を終えたあと、折角なので河原へ行ってみることにしました。
道沿いには、枯れた竹が斜面にいっぱい。
今にも道路に落ちてきそうな竹もあり、驚きました。
河原へは人もあまり行かないようなので、手入れもしてないようです。
この相模原台地は、箱根・富士山の火山灰(関東ローム層)が厚く積み重なった強固な地盤で、岩肌むき出しの段丘は、なかなか迫力があります。
相模原台地の事はこちらを↓
段丘でモトクロスを楽しむ人達
その段丘に、突然バイクの音が響きました。
音のする方を見ると、岩の間から一台のバイクが現れました。
どうやらモトクロスを楽しんでいるようです。
このようなオフロード走行は、単なるスピード競争とは違い、人とマシンの限界に挑むスリリングな魅力があるそうです。
岩肌を、まるで歩くようなゆっくりとした動きで乗り越えていく姿に、思わず見とれてしまいました。
川の砂利を掘っていた時代
バイクの音を背に、さらに河原を歩いてみました。
しかしそこは、いわゆる河原というよりも、まるで林のようです。
友人が子供の頃、この河原は石ころだらけだったそうです。
表面の石をどかして深く掘り、下にある砂利を採取していたといいます。
そのことを「ジャリセン」と言っていたそうですが、どんな字を書くのかは分からないとのこと。
もしかしたら「砂利船」から来ている言葉かもしれません。
当時は、ショベルが沢山ついた大きな機械で河原をどんどん掘り、採取した砂利は、昭和30年代に団地やマンションが建ち始めた頃の建設需要で、とても賑わっていたそうです。
その採取した砂利は、先ほど下ってきた神沢坂をトラックが何十台も運んでいったとか。
まだボンネットバスが走り、自家用車も少なかった時代の話です。
その機械に興味が湧き、ネットで川砂利を掘る機械を探してみたけれど、何処にもありません。もうそのような機械は使われていないのかな?
砂利を掘ったあとには、プールのように細長い穴があちこちに残っていたそうです。
その穴には水が溜まり、上の方は温かく、まるでプールのようだったとか。
しかし暖かいのは表面だけで少し深くなると水は冷たく、その温度差で心臓麻痺で亡くなった子供がいたそうです。
学校では河原で泳がないように!と注意勧告も出ていたそうです。
その後、河原の砂利も少なくなり、砂利採取は行われなくなり、危険だった穴はすべて埋められ、今では当時の面影を見ることは出来ません。
その光景は、友人の記憶の中だけの事となるほど昔の話です。
現在は、木々が生い茂る静かな河原とは思えない景色です。
時代とともに、風景は変わっていくものですね。
河原に捨てられたゴミ
そんな話をしながら歩いていると、道が二つに分かれていました。
細い右側の道を行ってみることに。
ところが、その道沿いには驚くほどのゴミが捨てられていました。
こちらには食器棚のようなものやマットレスも。
山道を歩いている時も、捨てられたゴミを見ることがあります。
なぜなのでしょう。
清掃工場へ持って行けば、それほど高い費用でもなく処分できるはずなのに。
なぜ、自分にも関係する自然を大切にしないのでしょうか。
こうした光景を見ると、本当に悲しい気持ちになります。
静かな流れの相模川
ゴミは残念でしたが、その先には綺麗な川が流れていました。
ここから少し上流に行くと、私がいつも歩きに行く相模川の中洲があります。
少ししか離れてないのに、ここは中洲とは別世界です。
こちらは下流の景色。
同じ相模川でも、小倉橋や高田橋の下に広がる河原とは少し雰囲気が違い、ここは林の中を流れる川のようでした。
遊びに来る人も少ないようです。
それでも、焚き火の跡が残っています。
キャンプを楽しみに来る人もいるのでしょう。
ただ、木が多い場所です。火の扱いには十分気をつけてほしいものです。
河原に生えている木を見ると、片側へ傾いている木がありました。
根元には流れてきた草などが絡みついています。
川の水が増えると、ここも水の中になるのでしょう。
そういえば、注意を促す赤い旗もありました。増水すると危ないようです!
だから人がいないのかな?
河原の石を見ながら帰り道
そろそろ帰ることにしました。
帰り道、足元の石をよく見ると、いろいろな形の石があります。
長い時間をかけて流されてきたのでしょう、角が取れて丸くなっています。
人の顔のように見える石もありました。
これは笑っている。
こちらは怒っている?
友人と「これは何に見える?」などと言いながら、子供に戻ったようにはしゃいで、来た道を戻りました。
神沢不動尊の前を通り、神沢坂を登ります。
今ではほとんど車も通らない静かな坂道ですが、砂利を採っていた頃はトラックが日に何十台と交っていたのでしょう。
その道沿いに、今も変わらず見られるのが清らかな湧き水です。
友人の思い出では、ここにはサワガニが沢山いて、よく取りに来たそうです。
水際をのぞいてみましたが、残念ながらサワガニの姿は見えませんでした。
サワガニは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
私の散歩は今まで見てきた相模川とはまた違った光景に驚きました。
それと同時に、友人から聞いたお不動様のお祭りの賑わいや、砂利掘りの頃の話、掘った穴で遊ぶ子供達の姿など、昭和の懐かしい風景が目に浮かぶようでした。
昔の思い出話しに耳を傾けながら歩いた今回の散歩は、昭和にタイムスリップしたような、心温まる時間となりました。
また季節を変えて、この場所を訪ねてみたいと思います。
最後までお付き合いありがとうございました。![]()








