アメリカ兵から返還された、戦死した叔父の日章旗
連日の猛暑が続いていますね。
朝からエアコンをつけての生活も、少々疲れて来た!
そんな時、知人から電話。
久し振りに友との会話を楽しみました。
彼の話によると、暑いから何処へも出かけられず、最近は家の掃除をしているので家が綺麗になったそうだ。
今日はお盆前に仏壇の整理をしているらしい。
少し涼しくなったら会おう!と約束をして電話を切りました。
お盆前の仏壇掃除
電話を終え、我が家の仏壇を見てみると、掃除をしているのに埃が。
今日は予定も無いので、お盆前に仏壇掃除をする事に。
仏壇の位牌等全部出して、拭き掃除。
仏壇の下には、仏具関連の品々が仕舞ってある。
ここも整理をする事に。
● 血の付いた寄せ書きの日章旗
中にあった箱を取り出して、中も整理。
その箱の中にあったのは、血が付いた日章旗。
これは、私の叔父が戦地で鉄カブトの中に入れていたもの。
この日章旗には、友人・隣近所の人達・職場の仲間達の署名が。
一緒に古い新聞も出て来ました。
米軍から遺品の「日の丸」
13年ぶり家族へ
昭和32年の新聞。
目の前にある日章旗の事が書かれている。
叔父は昭和19年2月に、戦地のレイテ島にて戦死。まだ32歳の若さだった。
当然遺品も無く、戦死した連絡があっただけだったという。
この日章旗は、叔父が亡くなった時身につけていた物。その遺体から米軍の兵士が持ち帰ったようだ。
当時、米軍兵士達は戦利品として持ち帰ることが多かったようだ。
● 新聞によると・・・
その兵士は好奇心から国に持ち帰った。だが平和になってから胸に浮かんだのは、その無名の日本人兵士の事だった。その兵士にも両親があるだろう。故郷で空しく待つ妻子もあるかもしれない!そう思うと、この旗を持っていることがだんだん苦しくなってきたという。だが旗には町名が記載されているだけで、宛名も分からない。そこで知り合いの日本人にこの事を打ちあけたところ、夫人は早速地元の日米時事支社にこの旗を持ち込んで頼み、同支社から新聞社特派員を通じて送られてきた。
以上の経緯により、13年振りに家に帰って来た日章旗。
叔父は幼い子供を残し、戦地での戦いに倒れた。
どれほど、生きて帰りたかっただろう!
その日章旗を見ると、叔父の悔しさ、無念さが伝わってくる。
そんな思いを受け止めながら、掃除が終わった仏壇に線香をあげました。![]()
● レイテ島での慰霊の写真
日章旗と一緒に出て来たのがこちら!
中を見ると、レイテ島の慰霊の様子を写した写真。
最後に挨拶文
異国での激戦。
そこでの戦死は、遺骨や遺品は何も無い。
そうした中、理由は兎も角、叔父が肌身離さず持っていた日章旗が戻って来た事は、家族はどんなに慰められたことだろう。
そう言う意味では、戦利品として持ち帰り、家に帰してくれた敵兵のアメリカ人に感謝です。
ネットを見ると、終戦後80年たった今でも、戦死した方の日章旗が返還されたというニュースが幾つも目に留まった。
いまだに、日本に帰れない日章旗や遺品は、まだまだあるようです。
家族が元気なうちに、家に戻ることを願うばかりです。
● 叔父の妻は私の母
叔父の妻は、今は亡き私の母です。
あれ?叔父さんの奥さんがお母さん?と疑問に思われる方もいると思います。
少しご説明しますね!
夫を亡くした母は、家を守るため弟である私の父と結婚して家を継いだのです。
当時は個人の気持ちより、家を守る事が第一の結婚だったのです。
だから奥さんの事を「家の女」⇒「嫁」と書くのです。
家の為に義理の弟と結婚なんて、今では考えられないですね。
その為、私には父親違いの姉弟がいるのです。
両親は既に他界しているが、お陰様で姉弟は皆元気です。
久し振りの仏壇掃除で、戦争の無い事がどれだけ幸せな事か、改めて実感した次第。
お盆には、姉弟が集まります。
仕舞ってあった遺品を皆で見ながら、仏壇にお線香をあげようと思います。
掃除が終わり綺麗になった仏壇に線香を上げました。
最後までお付き合い有難う御座いました。![]()








