2月24日(土)

今日は親戚の三回忌法要。

大きく変わった法要に戸惑いを感じてしまった。

 

そこで今回は、法事の事を考えて見ます。

 

 

 昔の葬儀

 

昔の葬儀は土葬だった。

今とは違い、お墓に穴を掘り埋葬していた。新しいお墓では、夜「ひとだま」が飛ぶと言われ、子供達は怖がった。

 

葬儀をするには、自分達で行わなければならない事がほとんどだった。

 

 ・ご遺体を埋葬する穴掘り

 ・精進料理作りと接待

 ・参列者の受付

 ・終了後の片付け

 

他にも準備する事は多々あり、葬儀を無事終わらす事は大変だった。

 

とは言って、主役でもある喪主がそれをする事も出来ない。

 

そこで近隣の人達が協力し合う「地類・組合」等という組織がある。

地類:土地(農地)を分け合った血縁(分家に出た縁者)

 

組合:互いに協力しあう隣近所。

 

この組織は、一人では出来ない葬儀や結婚式、屋根の葺き換え、農繁期作業などを協力し合う組織。

 

 

葬儀が発生すると、そのグループが集まり、葬儀の準備(葬式の日程から僧侶との打ち合わせ、参列者を持て成す料理作りや段取り、受付業務、香典管理等々)を仕切ったものだ。

 

また通夜の儀式の後、組織のご婦人達でご詠歌を供えるのも通例で、それぞれご詠歌ノートを持っていた。それは年長者のノートを各自書き写したもの。

 

こうして仏事を行うには、皆で協力しあって行っていた。

 

他にも、茅葺き屋根の葺替えや、結婚式もそうだった。

 

こうした協力関係は、一人では出来なかった時代ではとても大切で、生活して行く上で必要な事だった。

 

しかし、多くの人が集まり、一つの事を行うと色々な意見もあり、問題も出てくるもの。

そういったいざこざの場面を見ると「早くこんなしきたりや組織は無くなれば良い!」と子供心にも思うことも度々あった。

 

 

 現代の葬儀

 

時代は変わり、土葬が禁止となり火葬となった。

また葬儀社も出来、仕出し料理も頼めるようになった。

 

その結果

・埋葬用の穴掘りが不要。

・葬儀社が全てを執り行ってくれる。(受付は近親者や同僚等)

・精進落としは葬儀社や仕出し。

  ・・・等、

 

この様に、近隣の人に頼らなくても、家族だけで葬儀を執り行う事が出来るような時代となった。

 

だったら新しい方法に変えよう!と皆思うのだか、

「自分が言い出して変える!」

という勇気は無く、

「誰かが変えてくれないか!」

・・・と、皆心の中で願ってはいたようだ。

 

 

 変えたのはコロナ禍だった。

 

そんな「しきたり」を変えたのが、コロナ禍だった。

新型コロナが蔓延しだし、人の集まりは自粛。

何十人から何百人集まる葬儀が無くなり、親族だけで行われるようになった。

 

今まで変わって欲しい!と願っていた人達は、良いきっかけを得た形だ。

 

 

それ以後、コロナ禍の為!という口実が出来たからか「家族葬」が普通になった。

 

また目出度い結婚式も親近者だけとなり、招待されることも無くなった。

(結婚する人が減ったという原因もあるが…)

 

結果として、葬儀や結婚式に参列する事が極端に減り、黒の式服はタンスの奥に仕舞ったままだった。

 

今は当たり前になった家族葬。

でも最初は随分戸惑ったものだ。

 

今までのしきたりでは、亡くなった連絡は地類・組合に行き渡り、病院からご遺体がご自宅に戻ると、皆で「口見舞い」にお伺いするの通例だったがこれも無くなり、後々どこの家の誰々さんが亡くなられたそうだよ!と葬儀が終わった後聞くようになった。

 

結果として、今まで協力し合っていた「地類・組合」も、名前だけとなってしまったようだ。

その名前すら自然消滅しそうにも思える最近だ。

 


 

 コロナ禍後、初めて参列した法事

 

大きく変わった葬儀の形だが、コロナ禍以後初めて法事に参列した。

 

参列しての感想を、昔と今を比較しながらご紹介。

 

 

今回・・・

お寺の本堂の片隅で、親族が受付をしていた。

香典をお出しすると、お菓子1個とペットボトル1本頂いた。

集まっている人は全員マスクをし、本堂に用意してある椅子に座り、会話も無く開始を待っている。

 

本堂は畳敷だが、木製の折り畳み椅子が並べられていた。足腰が痛い年寄も多いので、座布団に正座して、長い法事の儀式に参列するのも大変!という事だろうか?

確かに、私も椅子は有難い。

 

お経が始まり、僧侶の合図で焼香開始。

まず施主がキャスター付きの焼香台を自分の席に持って来て焼香し、以後、順次参列者は座ったまま焼香。

本堂での法要が終わると、お墓へ行き僧侶のお経を聞きながらお線香をあげて、今日の法要は全て完了。

 

そして、施主とお別れする時、施主から「お返しの品」と「仕出し弁当」が配られ解散となった。

 

 

 

昔・・・

控えの部屋で、親族に香典をお渡しをしながらご挨拶。

お茶とお菓子を頂きながら、参列者とお話をしながら始まるのを待つ。

故人の話や互いの近況報告などを話す。

始まる時刻に本堂へ移動。用意された座布団に座り式に参加。

 

最初施主が前へ行き焼香し、以後参列者が代わる代わる焼香。

 

本堂での儀式が終わると僧侶とお墓へ行き、線香あげて法事は全て完了。

 

法事が全て終わった所で、お寺の控えの間に用意した仕出し料理で精進落しの席となるか、料亭へ出向き精進落としの席となる。

その席では、故人の思い出話や、参列者同士の近況報告など、親交を深める話に花が咲いた。

 

 

 

 今と昔を比べてみると・・・

 

今と昔を比べると、亡くなった方への法要は変わらないが、座るのが椅子となり、焼香も椅子に座ったまま出来たりと、年をとった身には優しくなった。

 

大きく変わってしまったのが、精進落としだ。

参列者が一堂に集まっての精進料理を頂く席が無くなり、コミュニケーションをとる場が無くなった。

 

参列者同士の近況も聞くことも出来ずに別れてしまった今回。

何とも寂しく、後ろ髪を引かれる思いの法事となった。

 

これも、「密を避ける」というコロナ禍対策で、お弁当を持ち帰り自宅で頂くという事のようだ。

 

 

 

 

 頂いた料理を兄弟で頂いた!

 

あまりにも寂しすぎる法要。

そこで、今回は私の兄弟も参加していたので家に寄ってもらい、我が家で頂いた仕出し弁当を頂く事とした。

少人数の会食なら許されるだろう!

 

 

こちらが、頂いたお弁当。

 

二段になっており、仕出し弁当と言え「なだ万」の美味しい料理がいっぱい。

食べ切れるかな?と思う程ボリュームもあり、美味しく皆大満足だった。

施主に感謝だ!

 

食べながらの会話だが、兄弟だけなので、故人の話はどうしても少なくなってしまう。

それでも、それぞれの近況や愚痴を言いあい聞いてもらう事で、普段のストレスは解消出来たようだ。

 

これも故人のお陰!お願いと感謝をしながら、楽しい会食を終え解散となった。

 

 

物事を簡略化し、無駄やストレスを減らすのは大切だと思う。

でも、あまりにも簡略化し過ぎ、寂しく感じたのも事実。

 

故人を偲ぶ法事も参列者が少ないからこそ、十分な感染対策をしながらも故人を偲びたい!と思った今回の法事参加の感想でした。

 

 

今日は、コロナ禍で大きく変わってしまった葬儀や法事のお話でした。

 

 

このように、近隣の付き合い方が大きく変わってしまったコロナ禍以降。

その結果、隣近所との関り合いも減り、寂しささえ覚える事もあるのが現実だ。

 

今、YouTubeを見ると、世界の中で、特に際立つ日本人の素晴らしさを感じる。

ゴミは落ちていないし、海外の人に対しての優しい対応や、時刻表通り動く電車等々、好評価が多い。それは古来より日本人が持っている「日常五心」があるから!と思うが、最近その心も消えているように感じてしまう。

 

これも時代なのかもしれないが、人との関係を大切にする「日常五心」を忘れずに、住み良い日本であって欲しいと願うばかりです。

 

 

 

 

皆さんは、どう思いますか?

 

これからも、どんどん変わって行くと思う「しきたり」や「付き合い方」

良い方向に変わる事を願いつつ、今回は終わりとします。

 

 

最後までお付き合い有難う御座いました。バイバイ