裏庭の一段上にある空地の篠竹。

細い竹だが、切っても切っても出てくる生命力だ。

 

放って置くと密集し、そのエリアも広がってくる。

毎年、邪魔にならないよう、周りに出てきた篠竹をカットしてきたが、流石に酷くなりすぎた。

 

竹の処理はどうしたら良いだろう!

ネットで調べてみると、1m切りとか、穴を開けて除草剤を注いて枯らす!など、いろいろあるようだ。

 

さて!我家の篠竹はどうしようか??ショボーン

 

幸いにも篠竹の太さは1㎝程で、孟宗竹のように太くない。

 これなら電動ノコギリや剪定鋏、刈込ばさみで切ることが出来る。


そこで、意を決して篠竹を刈り始めた。

 

竹の本数は何本あるのだろうか?

とても数え切れる数ではない。

焦らず少しずつ、時間を作っての作業だ。グー

 

何日か作業を進めると、何とか林の中が見えて来た。

 

ところで・・・

見えた奥へ入ってみると、赤丸辺りが何か変だ。

 

近寄って見ると、なんと穴が開いている。びっくりあせる

 

覗くとかなり深そうだ。チーン

 

更に周りを見回すと、奥にも穴が開いている。

何の穴?

 

もしかしたら•••、「防空壕」???

考えてみると、確かこの篠竹の場所は、昔「防空壕」があった場所の上辺り。


その防空壕、思い起こせばこんな感じだった。

 

戦時中、我が家の裏庭の池には、空襲の爆弾が落ちたこともあるそうだ。

その時この防空壕は、爆弾から家族の命を守ってくれたことだろう。

 

流石に戦後生まれの私は、防空壕に逃げ込んだ記憶はないけどね!バイバイ爆  笑

 

逃げ込んだ思い出は無いが、防空壕と言えば、親子丼に乗っている「三つ葉」を思い出す。

 

戦後、戦争から帰って来た親父は、畑や養蚕、養豚、養鶏などいろいろチャレンジしていたそうだ。

その一つとして、昭和30年頃までここで「三つ葉」の生産もしていた。

 

三つ葉の思い出は、水汲みだ。

三つ葉の生産には、光の調整とタップリの水が欠かせない。

しかし、その水だが当時は水道などない「つるべ井戸」の時代だ。

子供達は、井戸水をバケツ•リレーして、この防空壕まで運んだものだ。

当時小さかった私だが、その記憶はある。


篠竹の林に中に眠っていた「防空壕」

昔懐かしい思い出が蘇って来た。ニヤリ汗

 

昭和も終わりの頃、防空壕も掘られた石積みの擁壁も崩れてきたので、止む無く3m程のコンクリートの擁壁を造ったので、防空壕も擁壁の中に消えてしまった。


その、埋めた!と思っていた防空壕が、眼の前に出てきたのだ。

穴を埋めたと思っていたのだが、工事の時に全て埋めていなかったようだ。

 

穴の上の篠竹を綺麗にしても、穴が空いたままでは危険だ。埋めなくては!


令和の時代に、戦時中の防空壕は、はからずも幼少時代と親父を思い出すこととなった。

 

昼に家に戻り、仏壇に線香をあげました。お願い

 

まだまだ続く篠竹のカット。

当時の事を思い出しながら、怪我をしないよう頑張ろう!グーウインク

 

 

最後までお付き合い有難う御座いました。バイバイ