6月5日(月)
甘利山のツツジを楽しんだ後、直ぐ近くにある武田八幡宮に立ち寄り。

 

この神社は822年(公仁13年)に宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊を勅命によって勧請し、地名から武田八幡宮と称したのが草創とされる。(ウィキペディアより)
その他いろいろな歴史のある武田八幡宮。
その歴史の中には、当然武田信玄や徳川家康も出てくることでしょう。

その歴史のある八幡宮に、お参りをさせて頂きましょう!

鳥居の向こうにあるのが隋神門

境内には大きな杉の木がいっぱい。
傍にあった武田八幡宮の鳥居と石垣についての説明。

 

階段脇には沢山の祠。

これにも古い歴史がありそうだ。

長い階段の向こうにあるのが神楽殿。

登っていってみよう!

 

階段途中から、振り返って見る隋神門。

 

立派な神楽殿だ。

 

神楽殿の後ろにも階段。

登った所にあるのが拝殿。
早速お参りさせて頂きました。

拝殿左の方に、為朝神社の案内がある。

50mと近いので行って見ることに!

行く途中、本殿脇へ行けそうな斜面。

 

登って行くと、そこに本殿があった。

 

格子越しに本殿を撮らせて頂きました。

立派な作りです。
屋根は令和元年、40年ぶりに葺き替えをしたようで、とても綺麗だ。

屋根に鬼の面。

意味はあるとは思うが、探しても不明だ。
邪気から守っているのだろうか?

傍に説明書き。

 

 

本殿を後にして、為朝神社へ行って見た。
こちらがその神社。

 

 

傍に会った説明。

疱瘡除けの神として信仰されたが、明治維新後種痘の実施と共に参詣者も跡を絶つに至ったとある。
現在はコロナが蔓延している。神にもすがりたいが、この時の種痘のように早くコロナを押さえる薬が出来る事を願うばかりだ。

お参りを終え戻ります。
隋神門の前の道脇にあった「一石百観音石像」

 

脇にあった説明書き。

これによると、ここには百体の観音像が彫刻されている。
各地の霊場で観音菩薩を巡る札所巡りを、この一か所で参詣できるように作られたようだ。
ここにも、歴史が詰まっていそうだ。

歴史の有る甲斐の国には多くの苦難があり、それを乗り越えてきたことが見える。

今の世も、当時に負けずくらい多くの問題が山積みだ。
他国との問題、コロナ禍、少子化対策、経済等々、


神様にお願いするか?外交力で乗り切るか?子供優遇で少子化を乗り切るのか?
「どうする?総理!」

神様に頼らなくても良い世の中が早く来ることを、再度、武田八幡宮にお願いしました。

お参りの後、まだまだ続く「思い付き行動」
次は「わに塚の桜」と温泉の話へと続きます。

その話は、また次回でご紹介します。


ここまでお付き合い有難う御座いました!バイバイ