今回は、生きていく上で、人とのコミュニケーションをとるのに必要な「日常五心」の話です。
まずは叔母の一周忌の話から!
叔母の法事で感じたこと
先日、いつもお世話になっている親戚へお歳暮を届けた時の事です。
前の日曜日に、親戚の叔母の一周忌法要にご夫婦で参列した事をお聞きした。
そうか!叔母が亡くなられてもう一年たったのです。
本当に月日の経つのは早い。
ところで、ここで気になることが・・・
それは、一周忌だった叔母は私も親戚関係。
以前だったら私も参加する義理の仲だが、葬儀は家族葬で近親者だけで行われ、亡くなったことも後でお聞きした。
今回の一周忌も、ごく近親者だけの少人数で行われたようだ。
昔の付き合いを知っている私としては、違和感を感じてしまう。
しかし、このような事は本当に多くなった。
変わって来た冠婚葬祭
叔母の仏事のように、最近冠婚葬祭の行われ方が、今までとは大きく変わってきたように思う。それも急激に!
以前の葬儀は、大勢の人が集まるのが普通で、私の両親の葬儀も、200人以上参列して頂いた。
それがコロナ渦の今、身内だけで見送る家族葬が殆ど。
葬儀と同じように、結婚式も随分減ったしお呼びする範囲も狭まったようだ。
現役時代は年に数回、会社や親戚の結婚式に呼ばれることが普通だった頃が懐かしい。
結婚しない若者が増えたこともあるが、結婚式の形も随分変わった。
助け合いの「地類・組合」
昔の葬儀や結婚式はどんな様子だったかを、私の記憶で振り返ってみてみよう。
<お葬式>
昔は火葬ではなく土葬が当たり前。
そのため、お葬式をする時は、知人親戚に埋葬する穴を掘ってもらった。
<屋根葺き>
昔は藁葺き屋根がほとんど。
その屋根葺きは職人さんもいたと思うが、知人親戚が集まり、皆で葺替え作業を行なった。
<結婚式>
結婚式も自宅で行うのが当たり前。
三々九度は、親戚や近所の子供(低学年の男女)が、お神酒を新郎新婦の盃に注いだ。
私も小学生低学年の頃、隣家の結婚式で三々九度の式を、近くの女の子と一緒に行った記憶がある。
三々九度とは、三段に重ねられた盃を上から順番にひとつの盃で交互に三回、合計九回いただく作法だったことから三三九度と言われるようになりました。
これは陰陽説では3、5、7、9といった奇数が、縁起のいい数字とされていることに由来しています。お酒を注ぐ時もお銚子を3度傾け3度目で盃に注ぎ、飲むときにも1、2度目は口をつけるだけで3度目に飲むのが一般的な作法です。(アムズより)
葬儀や屋根葺き、結婚式などを行う人の集まりは、私の地域では「地類・組合」の人達が中心となって行った。
地類・組合とは・・・
地類とは、同族・親族の一種。古い分家や遠い親類などを含めた地縁のある家々。地親類 (じしんるい) 。合地 (あいじ) 。地分かれ。地名 (じみょう)。(goo辞書)
組合とは、地類ではないが近くに住んでいる人「組合」で作り上げた「地類・組合」という組織が、どこにもあった。
一人では出来ない行事等を、協力しあったのが「地類・組合」
その「地類・組合」を維持するために、コミュニケーションづくりも必要で、我が「地類・組合」は、元旦に宿(持ち回り)となる家に集まり、宴が開かれた。
お酒を飲むのは男達で、その料理を作るのは女性達。
コンビニもスーパーも無い時代。正月早々お店は開いていないので、宿の家は事前に購入しておかなくてはならなかった。冷蔵庫もない時代は、その保存も大変だった記憶がある。
その集まり「地類・組合」が必要としていたから行ってはいたが、集まれば気を遣うしトラブルも発生し、表に出なくても心の隅にシコリが残ることもあった。
娯楽の少なかった当時は、男性達は飲む機会!と喜んでいたかもしれないが、準備や接待する女性達は、こんな付き合い無くなれば!と、心の中では願っていた。
我慢をしながら?続けてきた「地類・組合」の付き合いも、時代と共に少しずつ変わって来た。
その理由は、今はお金を出せば葬儀も屋根葺きも結婚式も出来きるようになり、人に力を借りる必要が無くなってきたからだ。
「無くなれば良い!」と女性達が願っていた?「地類・組合」と言う協力しあう組織の必要性もなくなってきたのだ。
それでも、自分から付き合いの幅を狭める行動を起こすのには勇気がいる。なので、誰かが言い出すのをじっと待っているだけだった。誰かが1度でも行えば「〇〇さんと同じように行った」と言えるから。
新しいことをする「ファーストペンギン」になるのは大変なのだ。
「ファーストペンギン」
集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。
先日、このタイトルのドラマもあったので、この言葉を引用させて貰いました。
ファーストペンギンは、コロナ渦だった!
そんな時、新型コロナウイルスが蔓延し、密になる集まり等を避けることが求められるようになった。
集まりが制限されることで困る事や人達は大勢いた。
しかし、長年困っていた近隣との付き合い方を変えるには、コロナ渦は大きなきっかけとなったようだ。
「地類・組合」の付き合いを狭める良い口実が出来たのだ!
そうなると、言い訳も必要なく葬儀は家族葬。結婚式も身内や親しい友人だけとなり、集まる事が激減した!・・・というのが私の推論。
大きく変わりすぎたので、「地類・組合」で家族葬で行う!とお聞きしても、どうしたら良いか、対応が分からない。
そこで最初の頃は「どうしたら良いか」と相談するほど戸惑った。
変わった事で困ることも!
変わるきっかけが出来て良いこともあるが、気になる事も増えた。
人との付き合い方が狭められる口実が出来たことは、誰もが待っていたのかもしれない。
そういう意味でも人に頼らず生きられる今は、とても良い世の中になったと思う人は多いだろう。
しかし、変わって良かったと私も思うが、困ることもある。
例えば自治会。
私の自治会は、引っ越して来る人が多い地区。
しかし、その多くの人が自治会に加入しないようだ。
加入しない理由は、いろいろな役が回ってきて面倒。加入しなくても困らない。等々理由はいろいろあるとは思うが。
確かに、新しく越して来た人達は考え方も様々。地元の人達とは合わないことも多いかも知れない。
実際、そんな人達をまとめるのも大変だから、その気持ちは分からないでもない。
入会しない人が増えた結果、自治会員運営は困ることが多いと聞く。
困る事の例の一つとして、自治会主催のお祭りもある。
地域のお祭りは自治会が主体で、自治会費で運営される。
子供神輿等参加する子供に必要な、衣装や飲み物やお菓子等も自治会費で賄う。
しかし、自治会に加入していない子供も参加するが、断ることも出来ない。
経費は自治会費だ。
自治会に加入していない子供参加の場合、参加費を収集する自治会もあるようだが、難しい場合も多いようだ。
祭りは自治会費とご祝儀で賄うが、自治会に参加していない人の多くは、ご祝儀も出す人は少ない。収入が少なく、祭りを行うのも難しく、コロナ渦で祭りが中止となりホッとしている自治会もあると聞く。
また私の近所に一人暮らしの年老いた女性がいるが、付き合いが無いので顔を見ることはほとんどない。地域参加していない彼女が、もし病気になったりしたらどうするのだろうか?心配だ。
昔は地域皆で隣近所のお年寄りや子供達に目を配っていたが、それも無くなってしまいそう。
自治会とは違うが、私も大好きな山歩きで寂しく感じることがある。
山を歩いている時、狭い道なので避けて待っていても、通り過ぎる時にお礼の言葉が無い事が多い。挨拶さえもない時も。
煩わしい人間関係も、現代はお金があれば人に頼らず生きていける。
だから、コミュニケーション取る必要が無い。
その結果、人との関り合いを必要としなくなってしまった現代社会だ。
でも、こんなに相手との関わり合いを無くすと、どうなってしまうのだろうか?と心配だ。
ネット上にはこんなサイトもあった。
今だからこそ大切な日常五心
これは、昔友人から貰った湯呑茶碗で、そこに書かれていた言葉が心に刺さる。
日常五心
「有難う」と言う感謝の心
「すみません」と言う反省の心
「おかげ様」と言う謙虚な心
「私がします」という奉仕の心
「はい」と言う素直な心
これは元号が「平成」に変わった頃頂いた湯呑茶碗。
当時はそれほど気にならなかった言葉だが、最近、しみじみと心に響いてくる。
お金で多くの事は解決できる世の中になったかもしれないが、解決出来ないことはある。
そのためには最低限の付き合いは必要だ。
その関係を円滑にするには「干渉しすぎず、適度な距離を保ちながら協力し会える関係」が大切。
その関係を保つためにも「日常五心」は大切なことだと思うこの頃だ。
これからも、この「日常五心」を忘れずに、人との触れ合いを大切にしていきたいと思うこの頃です。
今日も皆さんの来訪に、感謝を込めて・・・
最後までお付き合い有難う御座いました。![]()



