9月25日(日)

今日は義兄の初彼岸。

姉妹達と揃って初彼岸参りに行きました。

 

免許返納してしまった姉達なので、私が送迎です。

 

彼岸参りの後、姉達の実家である我が家へも線香を上げに来る予定。

姉達を迎えるのに、掃き掃除した庭は昨日の雨で落ち葉がいっぱい。ショボーン

 

せっかく来てくれるのに、このままでは❗と、朝早くから庭掃きをして、一汗かいた。

急いでシャワーを浴び姉達を迎えに行き、義兄の家へ向かいました。

 

 

義兄の初彼岸参り

 

10時半過ぎに到着し、仏前にお参りさせて頂きました。

その後、お茶とお菓子を頂きながら、義兄の思い出話となりました。

 

丁度、義兄の娘もいて、父親の闘病生活の話をしてくれました。

 

病院嫌いの義兄は、健康診断の日に「朝食を食べてしまった!」と理由をつけて診断を受けない程医者嫌い。

子供かよ‼️

 

そして「自分は健康だ!」といつも言っていたそうだ。

 

そんな義兄が突然倒れ救急車で運ばれることに。

以後通院生活が始まるが、歩くこともままならず、娘の肩を借りなければ歩けない程となり、車いす生活となる。

 

そんな生活が2ヶ月ほど経った頃、余命3ヶ月の宣告と共に入院となった。

 

でも、余命宣告されたことは本人には教えずにいた。

身体は動かないが、気持ちはとてもしっかりしていて、「家に帰りたい!」と言う強い希望から、最後の希望を叶えて上げよう!と先生も了承し、自宅療養に切り替えた。

 

 

自宅療養を支えた子供達!

 

義兄の妻(私の姉)は健在だが、少し痴呆症が始まっていて、看病をするのは難しい。そこで、子供達が義兄の看病をする事となる。

 

両親と一緒に生活をしている義兄の娘は、平日仕事がある。

そこで、長男が平日は実家に戻っての看病となった。

 

本来なら家を継ぐべき長男は、マンションを購入し自立していたが、看病するために、仕事をテレワークに切り替えて兄の世話をすることになった。

 

義兄は、二人の子供達に看病をしてもらいながら、1か月程で亡くなった。

人生最後の1か月間。家族との時間は幸せそうだった。

義兄の闘病生活を支えた娘は、涙ながらに話しをしてくれた。

 

聞いている私達は、もらい泣きとなってしまった。

 

脇で聞いている義兄の妻(私の姉)は、涙する娘を見ても笑顔。

夫が亡くなったことを理解しているのだろうか?

 

そんな母親を持つ娘が可愛そう。

そして働いている娘は、母親一人置いて不安のようだ。

家にTVカメラを付けたい!とも言っていた。

 

痴呆?の姉の様子を見ていると、その気持ちは痛い程分かる。

 

誰でもいつかは訪れる「老い」と「分かれの日」

私は、家族に迷惑をかけずに、最後を迎えることが出来るか心配。

 

 

最後の話はお墓の事となる。

 

初めての仏様となった義兄の家では、まだお墓が無かった。

墓地はあるが、墓石が無いのでお墓を造る事となる。

 

ここでも子供達が中心となり、今造っている最中。

ほぼ出来上がったお墓は、引き渡しを待つばかりのようだ。

見せて頂いた写真がこちら!

 

1周忌にはお墓にお参りできそうだ。

 

初彼岸は参拝者も多い。

そしてコロナ禍の今は、長居は迷惑にもなるので、早々にお暇した。

 

見送ってくれた娘の姿が、今も瞼に残る。

 


その帰りに姉妹達の実家でもある我が家にお連れして、仏壇にお線香をあげて貰いました。

 

その後は、手作り料理で昼食を取りながら、姉達の思い出話となる。

 

 

長姉の苦労話を聞く!

 

長女は、戦後の苦しかった生活や、嫁ぎ先の苦しかった嫁時代の話となる。

その話は、昔流行ったNHKの朝ドラ「おしん」の厳しい生活より、大変だったようだ。

 

嫁いだ先は豪農で、両親の他にお祖母ちゃんや弟や妹が4人もいる大家族。

昼間は男と同じように農作業で汗を掻き、仕事を終えた男達はユックリ寛ぐが、主婦はそれから夕飯づくりと休む間もない。

 

汚れた体を風呂で流したくても、嫁は一番最後。

「お風呂は子供達が帰ってきてからだよ!」と姑に言われ、夜遅くまで入れなかったようだ。

 

そのお風呂は五右衛門風呂。温まるのも早いが覚めるのも早い。

夫の妹弟が風呂に入る時には、追い炊きもすることに。

 

そして最後に自分が入ろうとすると、風呂水が膝程しかなくなっている。

当時はシャワーも無い時代。風呂水で体や髪を洗うので、風呂水を使ってしまう。

 

これでは、昼間の農作業の疲れを取ることも出来なかったそうだ。

 

この他にも、生活の中での嫁と姑の確執は大変だったようだ。

 

今は義兄も無くなり、大勢いた小姑も独立していない。

今は自由気ままな生活を送っているかと思えば、そうではないのが現実だ。

 

 

それは、今度は自分が姑となって、嫁との問題。

歯を噛み締めるような苦労をしてきた姉から見る、現代の嫁に不満がいっぱい。

 

長男の嫁は、学校の役や友達との付き合いで殆ど外出で忙しそう。

そのため家の中は片付かず、庭の掃除もする暇がないようだ。

 

義母が庭掃きや野良仕事をしていても、疲れて昼寝していて手伝うこともしないそうだ。

そして「すみません!」の一言も・・・

 

「私が嫁に来た時は、そんな事は許されなかった!」と涙ながらに話す姉。

 

そんな嫁に対し、自分が姑に言われたように言うことも出来ず、ストレスが溜まるばかりの姉だ。

 

私から見れば、今は嫁と言う言葉さえ死語と思える時代。

昔のような嫁・姑と言う考え方は時代錯誤と言われてもしょうがない。

 

姉から嫁の話を聞く限り、嫁さんの気持ちも分からないでもない。

嫁の立場から見れば、姉のいう事は「パワハラ」と言われてもしょうがないかも!

 

時代が違うのだよ!腹を立てるだけ、ストレスが溜まるよ!

 

・・・と私たちは言うが、体に沁みついた嫁の心は、そう簡単に割り切ることは出来ないようだ。

それだけ、辛い、苦しい人生だったのだ。

 

愚痴を吐き出せば、少しは気持ちも楽になりそうだが、人には話せない家族の話。

愚痴のはけ口が無く、ストレスは溜まるばかりのようだ。

 

その姉の愚痴を聞いてあげるのも、弟の私の役目!と聞いてあげている。

 

私が聞いてあげる事で、姉のストレスが解消できれば何より。

そして、いつまでも長生きして欲しい。

 

昭和、平成、そして令和と、時代は大きく変わり、物の考え方や価値観が大きく変わった。

誰が悪いという事ではなく、時代が変わり過ぎたのだ!とつくづく感じる姉の話だった。

 

 

次姉の苦労話

 

次女も、長姉に負けずに苦労をした人生だった。

 

会社員に嫁いだが、義兄は42歳で病死。

以後、姉は働くこととなり、小さかった子供3人を、女手1つで立派に育て上げた。

 

子供達が育つまでの苦労は大変だったようだが、次姉はあまり話そうとはしない。

 

幸いにも次姉は、現在長男家族と一緒に同居し、孫のいる幸せな生活を送っている。

長男の妻はとても出来た人で、姑である次姉を気遣ってくれているようだ。

 

次姉は、長姉と嫁とのことを知っているので、自分の幸せな話はするわけにもいかず、ジッと相槌を打ちながら聞いていた。

 

 

お彼岸に集まり、心を許して話せる姉妹は、心の内を話せる大切な関係。

2人の姉が、いつまでも元気でいていることを願うばかりだ。お願い

 

 

心配な3人目の姉

 

3人目の姉は、残念ながら先に話したように痴呆が進んでいる。

数分前に話したことも忘れる程で、その事を言うと「私は馬鹿ではないよ!」と怒り出す始末。ショボーン

 

これから同居している娘が心配だ。

 

 

久し振りに会話を楽しんだ後、二人を家に送り届けた。

送り届ける車中の二人の顔が、心なしか笑顔になっていたのが嬉しかった。パー照れ

 

 

彼岸とは「人生を前向きに生きていくための日」

 

お彼岸は「亡くなった方に感謝する日」と思うが、今年のお彼岸は特に意義深い彼岸だったと思う。

義兄の長女の話を聞いてあげたり、私の姉達の心の暗い思いを吐き出してもらい、これからの「自分自身を見つめ直す日」にもなったと思いました。

 

 

さて、私にとっての彼岸はどうだったかな?

ユックリ考えるとしましょう!

 

 

最後までお付き合い有難う御座いました。バイバイ