6月17日(木)

梅雨の6月。

今日も朝から雨です。

 

しかし、10時過ぎには雨は上がり、陽が出て来そうな気配。

 

窓外を見ると、雨に濡れた樹々が生き生きとしています。

 

その中の1本の木の枝先が紅葉しています。

「七五三モミジ」です。

 

この季節の紅葉を「春紅葉」と言うらしい。

我が家では、モミジの木は3本有ります。

 

確認してみると、紅葉していたのは「イロハモミジ」の他に「デショウモミジ」。

もう一本の「ヤマモミジ」は紅葉していなかった。

 

3本の紅葉は、4月~5月にかけて軽い剪定をしました。

そのためか、それ以後伸びた枝が「春紅葉」になっているようです。

 

毎年デショウモミジは春の新しい葉は赤くなります。

でも、この時期に「春紅葉」を見るのは初めて?

 

ちょっと得した気分です。チョキニコニコ

 

 

紅葉の隣にある「シャラの木」

その根元に、白い花がいっぱい落ちています。

 

木を見ると、そこには沢山の花が咲いていました。グッ

「シャラ」の木は別名「ナツツバキ(夏椿)」

また「沙羅双樹」とも書くようです。

 

沙羅双樹といえば、「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必滅の 理をあらはす」という平家物語にあるように、ちょっと寂しい花。

 

そう読まれたのも分かるように、この花は短命で、朝咲いて夕方には落ちてしまいます。

 

たった1日の儚い命の花。

とても寂しさのある花です。

 

そう思って見ていると心も暗くなってしまう。ショボーン

 

でも、花は「ツバキ」のように、とても可愛い。

咲いた花を、優しく愛でてあげようと思います。パー

 

 

窓越しに、シャラの花を見ていたら、窓ガラスに何か付いている。

「カゲロウ」です。

脱皮したてのようで、下にあるのが抜け殻。

 

2㎝も無い程小さく、透き通っています。

その姿は妖精のよう!

 

しばらく見ていたら、飛んで行ってしまいました。

 

このカゲロウ、

最後のこの姿になってからは数時間の命。

とても短命のようです。

この姿は、死ぬ間際の一瞬の姿。

 

なんとも、見ていて切なくなります。

 

飛び去ったあと、窓に残された抜け殻をそっと取ってみました。

とても薄く透き通っています。

手に取ると煙のようにフワフワと風に吹かれて飛んでしまう程軽い。

 

 

シャラの花を見た後、シャラに負けない程、短命の「カゲロウ」を見るとは・・・。

何か起こるのでは?と心配になってきます。ショボーン汗

 

 

シャラの花もカゲロウの成虫も、どちらも「儚い命」

 

でも、この「カゲロウ」

成虫としては1日と儚い命ですが、卵からの寿命を見ると、孵化して数ヶ月から1年かけて成虫に成長するようです。


もしかしたらカゲロウは、多くの昆虫よりも長生きかもしれないようです。

 

 

 

「シャラの花」と「カゲロウ」は、どちらも短い命です。

そして、最後の姿は短いが、今までの生きて来た最後の花を咲かせています!グー

 

その生き方は、とても考えさせられます。

 

最後の姿は、これまでの日々の集大成なのです。

そのためには、一日一日に意味があるのです。

 

 

今日は、「シャラ」の花と、「カゲロウ」に教えられました。

 

毎日を無駄にせず、今を一生懸命生きる!それが一番大事!

最後の時に後悔しないで済むように生きる!グー

 

 

年を取ると、毎日惰性に流され、孤独な日々を送りがち。

(私だけかもしれませんが・・・)

 

でも、まだまだ!グーと諦めず、今何をしなくていけないのか!を考えて、日々を一生懸命生きることで、最後を迎える時に、後悔しないで済むのでは?と思います。

 

私も頑張ろうと思います!グー

 

 

そう生きるには、人との繋がりも大切。

 

どうしても歳をとると人との繋がりも減り、孤独になりがち。

歳をとると人に厳しく、自分に優しくなりがち。

 

そのならないためにも「日常五心」を忘れず頑張ろう!と思います。

 

「日常五心」とは、私が持っている茶飲み茶碗に書いてある言葉です。

 

ちょっとご紹介

①「有難う」と言う感謝の心

②「すみません」と言う反省の心

③「おかげ様で」と言う謙虚な心

④「私がします」という奉仕の心

⑤「はい」と言う素直な心

 

実行するのは、なかなか難しい。

つい「俺が!」と思ったり、「当然!」という気持ちが先に出てしまい、「感謝の気持ち」を忘れがち。

 

今は、お金さえあれば一人で生きていけます。

人に頼らなくても生きていけます。

 

便利になり過ぎて、つい、感謝の気持ちを忘れてしまい、自己中心になりがち。

 

昔は一人では何もできなかった。

食物も、屋根葺きも、結婚式も、お葬式も、生きていく事の多くの事が、皆に力を借りなければ出来なかった。

一人では生きられなかったのです。

 

だから、何かの時に力を借りられるよう、日々、「感謝と思いやり」の気持ちでいた。

 

今は便利さと引き換えに、その心を忘れてしまいがちです。

 

だからこそ、意識して「感謝と思いやり」の心を忘れない事が大事だと思います。

 

つい忘れてしまいがちな「日常五心」

新ためて、見直して生きようと思います。

 

 

最後まで読んでいただいた貴方に、心を込めて!

最後までお付き合い有難う御座いました。お願い