甲府にもあった!
善光寺

武田神社のお参りを済ませ帰路に着いた。
高速のICへ向かう途中、
少し走った所に、
大きな大きなお寺が道から見えてきた。

いつも気になっていたお寺です。

今日は時間もある。
ちょっと寄って見る事にしました。
いつもの予定外の行動。(苦笑)

お寺の敷地脇の道は、
棒アイスみたいに綺麗に刈りこんだ街路樹
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その先へ進むと大きな門がありました。
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石柱には甲州善光寺と書かれている。
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 善光寺?

善光寺と名乗るお寺は、
日本に119ヶ寺有るそうだ。

ここも、その一つかな?と思ったら、
長野の善光寺と深い関係がありました。

そのお話しは、後程…

山門を潜ります。
潜った所に山門の説明書き
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振り返って見る山門。
大きいですね!
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境内にあった社
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脇にはお地蔵さん
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広い境内には沢山の木々ありました。
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境内にあった大仏
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銅造毘廬舎那仏坐像で2m程あり、
山梨県内では、古い銅像では最大。

江戸後期が製作年代と言われている。

境内の紅葉も見事でしたよ チョキ
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本堂の側面、階段がついている。
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 横から見ても大きな建物です。

こちらが本堂正面
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大きさにビックリ。
前に立つと、その迫力にたじろいでしまう。

お賽銭を入れお参りしました。
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境内には女性の声で案内が流れていた。
 
耳を澄まして聴いてみると、
甲斐・善光寺の謂れの説明のようだ。

どうやら、ここの善光寺は、
長野にある善光寺の疎開先だった 

初めて聞く話です。
気になり後で調べてみたら、
こんな事が分かりました。

その内容は…
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戦国時代の、善光寺平は信濃侵攻を行う甲斐国の武田晴信(信玄)と北信国衆を庇護する越後国の上杉謙信の争いの舞台となり、寺は兵火を被り荒廃した。この後、善光寺仏は寺地を地方に流転することになるが、行く先については諸説ある。通説では、善光寺の焼失を懸念した信玄により本尊は善光寺別当の栗田氏と共に武田氏居館のある甲府へ移され、この時に建てられたのが今日の甲府市にある甲斐善光寺であるという。
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他にも説はいろいろあるらしい。

まあ、歴史の真意は兎も角、
流れてくる説を信じたい程の立派な建物です。
信濃善光寺を思わせる大きさだ。

武田信玄の力を改めて知らされた、
甲州善光寺参りとなりました。

詳しくはこちらをご覧ください。
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内部は拝観でき、
お戒壇巡りも出来るようです。

また日本一の規模の鳴き龍を楽しむこともでき、手を叩いて鳴き声を楽しむ方いました。



山梨に来ると、何かしら
武田信玄に関わる事に行きつく。

今の世にも生きる武田信玄の陰。
恐るべしですね!

信玄と同じ時代に生きて無くて良かった!
と思います!(笑)


今回も、予定外の行動に
最後までお付合い有難う御座いました。