戦国武将の夢が眠る
「松代城跡」
9月18日(金)
善光寺七福神巡りを終えた帰り道、
往きは高速道路でスピードを選んだが、
帰り道はのんびり一般道。
一般道は色々な出会いや発見があるので、
大好きな一般道!
善光寺から出発して30分程走った時、
連れ合いが突然こんなことを言いだした。
確かこの近くに真田邸があったと思うよ!
寄って見たいな~ 
こう言いだしたら、行くしかないのがいつもの常。
早速、ナビを調べて設定完了!
ナビに惹かれて(笑) 駐車場到着!
そこから少し歩きます。
途中、松代城跡が出てきた。
の予定には無かったが、折角なので寄って見る事に!

写真右下クリックで拡大
当時の天守閣も無いが、立派な石垣が残るだけのようだ。
詳しくはこちらをご覧ください!
松代城跡の案内

写真右下クリックで拡大
この城も他の城と同じく、戦国の荒波にもまれた様だ。
松代城跡と言えば、真田家の事を外すことは出来ないようだ。
ご興味ある方は、こちらをご覧ください。
お城の名前は松代城だが、当初は海津城と呼ばれていたようだ。
名前の変更は、真田信之が入城後に変更。
現在の松代城の正面とも言える、
太鼓門とその前橋

太鼓門・前橋の説明書き

写真右下クリックで拡大
太鼓門を右側から太鼓門を望む

その右側のお濠にかかる東不明門橋

東不明門を渡り内側から橋を望む

内側から見た太鼓門

太鼓門の説明書き

写真右下クリックで拡大
中広場にあった、
最初の城の名前だった海津城址の石碑。

こちらが北不明門の櫓門

北不明門への入り口。
丁度、太鼓門の反対側にある。

外側から見た北不明門

北不明門を中に入って直ぐ右側にある戌亥櫓台。
櫓台へ石垣を登る階段が付いていた。

戌亥櫓台の広場

戌亥櫓台から見る井戸。
昔のお濠はその外側にあったのだろう。

北不明門から外へ出て見た、本丸跡全景。
右が戌亥櫓台、その手前が井戸。左の建物が北不明門。

歴史の沢山詰まった史跡を見ると、
ズッシリと迫ってくる歴史に押しつぶされそう。
当時の人々の気持ちがそうさせるのか…
そんな思いを感じながら、太鼓門へ出ると、
駐車場に、自衛隊の車が停まっていた。

ぞろぞろ大勢の自衛隊員が降りてきて、
太鼓門前の広場に整列。
そして記念写真を撮り始めた。

修学旅行生みたいに爽やかだ。
この爽やかな自衛隊員の顔から笑顔が消えない事を祈るばかり。
この城の過去のように、戦いは気が重い歴史を作るだけ。
昨日決まった安保法案が、
戦いに結びつかない事を祈るばかりです
さあ、気分を変えて、
真田邸を見に行くとしましょう!
そのお話は次回へ続きます。
最後までお付合い有難う御座いました。
