もみじもみじもみじ紅葉の鎌倉を歩くもみじもみじもみじ
 
①建長寺
 

12月3日(水)
我が家の紅葉も終わりに近づいて来た今日この頃。
鎌倉はまだ綺麗!と聞き、早速行ってきました。

今回のコースは、鎌倉アルプス(天園ハイキングコース)
このコースの一部を変更しました。

次の通りです。
鎌倉駅 ⇒ 建長寺  半僧坊  大平山  獅子舞の谷 
  鶴岡八幡宮  鎌倉駅 
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コース図は「山ガールのホームページ」を参照させて頂きました。
今回のコース選定もこちらを参考にしました。 http://www.yamagirl.net/guide/guide1.php
 

「獅子舞の谷」は紅葉スポットとして有名らしいので、
瑞泉寺は次回お参りする事としました。

今回は、その①建長寺です。


いつもは車で行動するのですが、
今回は電車で行きました。

近くの駅そばの駐車場に車を停め、
小田急線で藤沢、東海道線で大船、横須賀線で、北鎌倉へ向かいます。

電車内は近づくにつれ、鎌倉へ向かう様子の人で混んできました。

北鎌倉駅でほとんどの方が降りましたよ!
線路沿いの道は、既に紅葉真っ盛り
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紅葉よりも人が盛りのようです(笑)

線路沿いにはおしゃれなお店もあり、電車で初めて来た私はキョロキョロ。

建長寺に着きました。
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ここは2回目の参拝です。
と言うのも、我が菩提寺の本山がこの建長寺。

古都・鎌倉でも有名な観光地の建長寺。鎌倉五山の第一位でもある、長い歴史のある禅宗の寺院だ(臨済宗建長寺派大本山)
臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。

歴史のあるお寺ですね。
こういう機会がないと本山に寄る事もありませんね。
本山の事で、知ら無い事が多い事を改めて反省です。

総門を潜ります。
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この門に掛かる「巨福山」と書かれている文字が気になります。
ちょっと変ですよね?
「巨」の字が・・・

調べていると、この文字を書く時、勢い余って「、」が加えられてしまったそうだ。
「この一点によって全体が引き締まり、百貫目の価値がある」
といわれたことから、「百貫点」と呼ばれているそうです。

きっと私が書いたら、
「字を知ら無いのか?」 と言われそうですけど(笑)

拝観料を払い、総門を内側から望みます。
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境内の案内図がありました。
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今日は図の上、天園ハイキングコースを目指します。
 
両側に葉の落ちた桜の木があります。
春はピンクの色が綺麗でしょうね。
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山門
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山門の下に「おびんずるさま」
「痛いところを摩るとなおしてなおしてくださいます」
と書いてあります。

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私は、まだ治らない喉を摩りました。
 
奥さんは頭を摩っていましたよ!
少しでも頭が良くなるように?

違う! って怒られました(苦笑)


このおびんずるさまの事が気になり、
帰宅後調べてみると、こんなことが分かりました。

お釈迦様の弟子の中に、ビンドラ・バラダージャという方がおられました。日本では尊敬の意味を込めて、おびんずる様と呼ぶそうだ。漢字ではお賓頭盧様。おびんずる様の説法は力強く、獅子のようであったため、弟子の中でも獅子吼第一と称されていました。慈悲深く、神通力をお持ちであったと伝えられています。

おびんずる様は衆生を済度する役割を持って人の世に遣わされた16人の阿羅漢、いわゆる十六羅漢の第一とされます。

内科 ⇒ 耳鼻咽喉科へ行ってもいまだに治らない、
喉の痛いのが治ると良いな~  もう神頼みです(苦笑)

奥さんもどうかボケないでいますように!チョキ
 
 

さらに進むと仏殿です。

その手前の左側に、百槇(ビャクシン)の木がありました。
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山時から生き続けて760年。凄い!迫力です。

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この木の脇の蓮型水場がとても綺麗だったのでカメラ
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水が心を洗い清めてくれるようです。

仏殿
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この仏殿は

重要文化財。 寄棟造建築。
芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築。
もともと霊廟建築として造られたもので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。屋根は入母屋造でなく寄棟造で天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)。堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置されている。 (ウィキペディアより)

調べてみると、いろいろ歴史が詰まっていますね!

その内部。
地蔵菩薩座像
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像高239.5㎝、室町時代の寄木造。玉眼、右手に錫杖、左手に火炎の付いた宝珠を持ち、衣を通肩着けて蓮華座に結跏趺坐している。衣の裾は台座の両側に長く垂らされている特殊な特殊な作風である。このような作風は鎌倉末期から室町時代にかけて、鎌倉地区の禅寺で流行したとされている。(参考:小学館・週刊「古寺をゆく」)


次は法堂です
法堂の前に謂れ書きがありました
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その法堂
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我が菩提寺の住職も、ここで住持の説法を聞いていたのかな?
今度住職に聞いてみることにします 

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天井の龍の絵が素晴らしい。
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鎌倉生まれの画家、小泉淳作氏によるものだそうだ。

龍の絵を見て、思わず手を叩き音を出している私。
日光の鳴き龍とは違い、龍は鳴かず私が泣きました!(笑)

そんな私を見て、奥さんが一言
「もう一度「おびんずる様」に戻って、私も頭をなでたほうがいいかも?」

 あせるあせる
 
 

龍の下に安置されている仏様
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ここで像を見ていた奥さんが目を背けました。
千手観音像の前に、やせ細りあばら骨が見える像が痛々しい。

この像は、2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが万博終了後、パキスタンより寄贈され安置された。
「シダッルター太子(のちのお釈迦様)は悟達を求めるため多くの遍歴の後、最後に苦行に入る。6年間に及ぶ激しい断食修行をなしたと仏典は伝えている。」


修業の凄さと崇高さが見るものに伝わってくる。
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法堂の仏像に圧倒されながら次の唐門へ進みます。

表から見た唐門
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日光の陽明門を彷彿とさせる煌びやかさの門。
この唐門の右脇から方丈(龍王殿)を拝観します。
ここは靴を脱いで上がります。

唐門の謂れ
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将軍秀忠公夫人、お江の方の霊屋の門として作られてようです。
平成23年に修理され、煌びやかさが復活したのでしょう。

丈丈側から見た唐門(門の裏側)
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神々しく光輝いています。
お江の方…と聞き改めてみると、どこか女性的でもありますね!

方丈の謂れ
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この建物も移築されたもののようです。
元は、皇室のお位牌を安置する目的だったようです。

現在は座禅などの研修場
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この広間の向こう側に庭園があります。
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紅葉の木々を楽しみにしていたのですが、
京都のような色付きの木はありませんでした。

かえって色がない分、無の境地を感じさせてくれる気がします。
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ここで、建長寺の拝観は終わり、半僧坊へ向かいます。
唐門の前を通り過ぎ、右に進みます。

このあたりは、お寺に関係する人達の住いがあるようです。

紅葉がとても綺麗です。
やっと色が付いている景色に会えた感じでした(笑)
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この左の道を左下方面へ進みます。

道脇に石像がありました。
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この像は、禅宗開祖達磨大師坐像。
平成22年、中国少林寺より信託されたそうです。

悟りを開いたお顔を見ているだけでホッとします。
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なかなかこんな素敵な顔にはなれないですね。

半僧坊に向かう道脇に、ヒメツルソバの花の群生。
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淡いピンクがとても可愛い
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花の中に蛙がいました。
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さて、この坂を登って半僧坊へ向かいます。

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今回はここまでとします。

次回は、
「②紅葉と半僧坊」
へと続きます。
 



最後までお付合い有難う御座いました。