世界遺産・富岡製糸場と絹産業遺跡群
高山社

10月9日(木)
草津からの帰り道、登山して帰る予定でした。
 
行ってみると、昨日の志賀高原同様、ガスが濃く、
止む無く予定を変更。
 
変更した行き先は
世界遺産・富岡製糸場と絹産業遺跡群の一つ
高山社。
 

世界遺産に登録されたのは、富岡製糸場!と思っていたのですが、
富岡製糸場と絹産業遺跡群として、4箇所ありました。
 

富岡製糸場と絹産業遺跡群
4箇所とは・・・
 
富岡製糸場(富岡市)
日本の製糸業の発展に大きな影響を及ぼした富岡製糸場
 
田島弥平旧宅(伊勢崎市)
「清涼育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、養蚕農家の様式にも影響を与えた
人物の住宅であった田島弥平旧宅
 
高山社跡(藤岡市)
「清温育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、蚕業学校によって知識や
技術の普及を図った組織のありようを伝える高山社跡
 
荒船風穴(下仁田町)
冷涼な環境での蚕種貯蔵によって、春だけでなく夏から秋にかけての
養蚕を可能にし、ひいては生糸生産量の増大にも貢献した荒船風穴
 
 
 
4箇所を選定するにいたった理由などが書かれているサイトがありました。
 
 
今回は、そのうちの一つ、高山社を訪ねました。
 

 
今日も天候に恵まれ、
草津の町並みの木々も少しずつ色づいています。
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今日の予定は、浅間隠山登山です。
この空なら良い景色が期待できそうグー
 
二度上峠に到着
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空を見上げると青空です。
登山口はもう少し先!ガスが発生し始めています。
空が気になります

このあたりは見晴らし素晴らしい
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登山口まで行くと、山の上には厚く黒い雲が広がっています。
周りの景色も見え難くなってきそうな気配。

悩みましたが、今回は登山を諦めることにしました
 
ここまで来て、少々残念ですが、
草津はまた来ると思うので、次回の楽しみとしました。
 

 
時はまだ10時過ぎ、
このまま帰るのはせっかくの休みがもったいない。
そこで、先日富岡製糸場の見学で知った、
絹産業遺跡群の一つである「高山社」へ寄ることにしました。
 
 
 
 
ナビに目的地を設定し、案内に従って進みます。 
道はそれ程広くないが、交通量が少なく走りやすい道です。
 
本通りから細い道に入り山の方へ進みます。
見えてくる景色は、奥多摩方面を思いだす(笑)
 
 しばらく進むと、高山社見学用に整備された駐車場が出てきました。
トイレも完備です。
 
駐車場からは案内に従って竹林の歩道を進みます。
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この歩道は、最近作られた道で、本通りに沿って作られています。
本通りに歩道が無いので、
見学者が安全に通れるよう作られたようです。
 
 
こちらが高山社入り口となる長屋門
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立派な長屋門です。
門の所に係りの方が居て、高山社の概略を説明してくれました。
建物を見ると一般的な住まい…と思えるが、
説明では養蚕の教育のために作られた学校だそうだ。

 
こちらがその建物
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高山社について少しご紹介

高山社跡
高山社跡は、高山社の創始者・高山長五郎が養蚕法の改良を行った高山社発祥の地です。高山家は中世から旧家でしたが、長五郎は先祖伝来の屋敷を壊して蚕室を建てて研究を行い、試行錯誤の中から「清温育」という優れた養蚕飼育法を確立したのです。長五郎は飼育法をこの場所で指導し、多くの社員・生徒を育てました。また卒業生の中から優秀な者を全国へ養蚕指導員として派遣して、清温育を全国に広めたのです。藤岡町に本社を移した後は、「高山分教場」として機能しました。
生徒は日本国内のみならず、朝鮮や清国(1644~1912年、中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝)からも留学生が来ていた。
 
清温育の仕組み
蚕の飼育が「天の虫」と言われるほど当たり外れの大きかった時代に、収繭量の安定と品質の向上を格段に進歩させました。この養蚕法は温度、湿度、空気の流通などを調整し、細かい部分まで飼育管理を徹底する指導法でした。

温度調整
 暑いときは部屋を開放して温度を下げ、寒い時は火力を用いて部屋を
 暖める。
湿度調整
 湿気が高い時は火力で空気を流通させ乾燥を促し、乾燥している時
 窓を閉じて空気の流通を断ち桑葉が乾かないようにする。
管理
 新鮮な桑を与える。盛食期や脱皮後の桑の与え方、脱皮時の管理方法等に
 ついてきめ細かく管理する。
高山社パンフレットより

 
富岡製糸場は繭から糸を取る工場で、
ここ高山社は、良い繭を作る技術を広めた会社なのですね。
 
当時は良い繭を作るのが随分難しかったようですね。
昔の人の熱心な取組みが、世界一の絹を作り上げたのですね。
 
高山社跡全景(模型)が展示されていました。
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建物のカットモデル
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山には天窓があり、ここで空気の入れ替え調節をしていたようです。
二階は床がすのこの部分があり、
一階との空気の流れを作っていたのでしょう。
 
蚕室となるらしい座敷
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この二部屋は、畳が上げられ、養蚕時期には蚕棚ができたのでしょう。
 
上の写真の床の間の向こう側に、
同じようなこちらと同じように部屋がありました。
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天井が一般的な建物より高いです。養蚕のためでしょうか?
作りも立派です。
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この部屋から見た庭
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右奥に見えるのが長屋門
 
蚕室の二階の様子
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床が「すのこ」になっており、空気の流れは良さそう。
養蚕に良い事とされる工夫が随所にされている建物。
 
一部屋に資料が展示されています。
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いろいろな繭や当時の資料、生活具などが展示されています。
 
繭の標本の一部
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高山社二代目社長の町田菊次郎さん
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町田菊次郎さんは養蚕学校初代校長
この方が清温育を全国に広めたそうです。
 
当時の記念写真
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意気盛んな若者達が大勢集まっていたのでしょう。

ゆっくり見学をさせて頂きました。

 
帰りは本通りを歩いて帰ります。
本通りは二車線で歩道が無いので注意して歩きました。
安全には遊歩道が安心ですね。
道脇にはそのように注意書きされていました。
 
 
通りから振り返ってみる高山社の長屋門
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今回の富岡製糸場と高山社見学は、
昔、我が家でも両親が大変な思いをして飼育していた養蚕業。
今までただ「養蚕」と捉えていただけで、深く考えた事はなかったが、
今回、世界遺産登録をきっかけに、養蚕関連施設を見学したことで、
当時の日本、そして当時の両親の生きていた時代に、
少しだけ触れることが出来ました。
 
車までの帰り道、ふっと、我が家の蚕室で、
桑を蚕様にあげている両親の姿が浮かびました。
 
 
高山社についてご興味ある方はこちらをご覧ください。
ダウン
 
 
 
車までの帰り道、
カラーのマンホール発見!!
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皆さんのブログでカラーのマンホールは見たことあるのですが、
実際に目にし、思わずシャッターを切りました。
絵柄は消防士ですね。
 
文化遺産を火災から守ろう!ということでしょうか?
左上の丸いマークは、藤岡市のマークでした。
「カタカナのフの字を二つあわせ中に丘を表わしたもの」
・・・だそうだ。 なるほどと納得する私パー
 
 
 
車に戻り、家路に着きます。
ナビ設定をしながら、いつもの癖で
いろいろ発見の多い一般道を通って帰ることにしました。
 
秩父を通って日の出町へ抜ける道。
ナビが選んでくれた道が山越えの結構スリル満点あせる 
 
のんびり雰囲気を楽しむことは出来ませんでした。
途中の天目指峠の表札
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後で調べると、ここはヒルクライムの人には人気がある道?らしい。
車のすれ違いも怖いような狭い道。
 
全体的に何処を通ってきたのか、
帰ってきて地図を見るが良く分かりません。

ナビさん、
もうちょっと広い道案内してよ~と文句を言う私でしたパンチ!
 
何はともあれ、無事に帰れて良かった~
・・・と、ほっとしました。グッド!
 
 
以上で、今回の旅は終わります。
 
雲やガスに阻まれて、100%ではなかったが、
いろいろ心に思うことがある旅でした。
 
日本は広いですね。
そして知らないことの何と多いことか!
 
 


また新たな発見の旅をしたいと思います。
 
最後までお付き合い有難うございました。