世界遺産・富岡製糸場



9月7日(火)
台風一過の晴天に恵まれた日に、
今年6月26日に世界遺産登録になった、富岡製糸場を見学してきました。

登録になってまだ3か月なので、
平日と言えどもまだまだ混んでいるのでは・・・と思い、
朝早く家を出て9時前には駐車場に着きました。

圏央道が出来、富岡市も随分近くなりました。
富岡ICから案内が完備されており、迷わず駐車場へ到着。

駐車場に車を停めて少し歩きます。
製糸場までの道には、分かりやすく表示もありました。
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製糸場に到着
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門の前から誘導係員が数名いました。
門を入ると列が出来ています。
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当時の守衛所?あたりに券売所がありました。
皆さん券購入のため並んでいます。

自動券売機の方がスムースなのでは・・・
など思っていると番が来て無事券を買って入場
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この券売所の反対側に石碑がありました。
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行啓記念碑
明治天皇の要請で皇太后及び皇后が創業の翌年明示6年(1873)に
製糸場に行啓した時の記念碑。

東繭倉庫
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この入口上のアーチ部分に、明治5年と書かれています。
このアーチはレンガで積まれており、最後にこの明治5年と書かれた石板を
はめ込むことでアーチが完成されているそうです。
この石板の事を、キーストーンと言うそうです。
この石が無ければアーチは成り立たない所からこう呼ぶようです。

ここで、ご存知とは思われますが、
再確認を少々・・・

 富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した模範器械製糸場です。
 江戸時代末期に鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始めました。当時最大の輸出品は生糸でした。輸出の急増によって需要が高まった結果、質の悪い生糸が大量につくられる粗製濫造問題がおき、日本の生糸の評判が下がってしまいました。
明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、 産業や科学技術の近代化を進めました。そのための資金を集める方法として、生糸の輸出が一番効果的だと考えました。そこで政府は生糸の 品質改善・生産向上と、 技術指導者を育成するため、 洋式 の操 糸機械を 備えた 模範工場を造ることにしたのです。

 

このホームページには、
          
          ・富岡製糸場を建てたのはなぜ?
          ・なぜ冨岡がえらばれたの?
          ・どんな工場だったの?

など、詳しく書かれています。まだの方は是非一度ご覧ください。


東繭倉庫は中も見学が出来ます。
そこには、色々な資料が展示されていました。
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当時の富岡製糸場の建物の配置模型
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繭から糸にする機械
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座繰り体験もできるようです
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体験日が決まっているようです。今日は実演も体験もできませんでした。

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藁まぶし
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藁で編んだまぶしに成長した蚕を置くと、隙間に繭を作ります。
その繭を取り、茹でてサナギを殺して糸を取る。


この藁まぶしを見ていて昔を思い出しました。

私が小さい頃は、我が家でも養蚕をしていました。
畳を取り外した家の中に蚕棚を組み、小さい幼虫に桑の葉をあげる。
蚕が桑の葉を食べる音が耳元で雨の音のようだったことが思い出す。

この時期は蚕様が一番で、人間は狭い部屋に寝ます。
その部屋と寝る部屋は何の仕切りもなく、起き上がったとき寝ぼけて
蚕様を踏みつぶしたことも何度かあったな~

現金収入の少なかった農家としては、養蚕は「蚕様」だった。

雨が降ろうが、桑の葉を取りに父母は畑に出かけました。
大変な労働で、母はいつの間にか背中が大きく曲がってしまいました。

私が高校へ行く頃には養蚕をやめましたが、
当時の農家として父母が大変だった。

富岡製糸場の資料を見て、思わず父母を思い出しました。



今年の雪でつぶれた乾燥場
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今までの天災にも耐えてきた乾燥場も、
今年の雪には勝てなかったようです。

それだけ、今年の雪は凄かったのですね。

ボランティアによるガイドツアーがありました。
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私達も参加しました。
大勢のガイドさんがおられ、それ程待たずにスタート。

とてもお話が上手で、富岡製糸場の事を知ることが出来ました。
こういった案内は、
観光だけでなく、本来の価値を知るためにも重要なことですね。

東繭倉庫の全景
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倉庫前の道脇にサルビアの赤い色が、レンガを引き立てていました。

検査人館を修理していました。
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ここも雪の被害の修理だったかどうかは不明ですが、
敷地内のあちこちで修理をしていました。
世界遺産です。大切に保存されると良いですね。

繰糸場の屋根
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屋根の上にもう一つ屋根があります。
説明によると、繰糸場は繭を茹でるため蒸気が工場内に発生します。
その蒸気を逃がすための窓が、建物の一番上に作られたそうです。
この方法で蒸気を逃すことは、温泉などでも見られますね。

こちらが繰糸場の入口
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繰糸場の内部
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ここで繭から糸を取りだし、
10本?位をよじり一本の糸として取り出すようです。

昔は写真のように、
座繰器を使って糸取をしていたようです。
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富岡製糸場では下の写真のように、大勢の工女たちによって
フランス式座繰機により糸取を行っていたようです。
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こちらの機械が工場最後まで使われていた繰糸機
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この機械技術は海外へも輸出されたようで、
現在でも現役で働いるそうです。

この機械を作った会社は、
なんと車のメーカーである日産だそうです。

ここ富岡の製糸技術により、
アメリカではストッキングが出来るようになったそうだ。

それまでは糸の出来が悪く、
途中で切れてしまうためストッキングが出来なかったそうだ。
日本の技術って凄いですね~

この繰糸機の事について書かれているホームページがあります。
ご興味ある方はご覧ください。
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片倉診療所
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ここ富岡製糸場は、明治3年、官営製糸場としてスタートし、
明治26年、三井家に払下げられ、
昭和13年、長野の片倉財閥に経営を委任。
翌年片倉富岡製糸所として昭62年まで操業をしていた。
明治3年から115年間操業し続けた。凄いですね!

その最後の経営会社である片倉工業の名前を残す診療所。


ブリュナ館
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設立当時、技術の無かった日本では、技術者としてフランス人を雇った。
そのフランス人が、ポールブリュナと言う人。
その人の住いとして建てられた。

明治3年10月より明治8年12月までの5年間ここに住み、
レンガの焼き方から機械製糸技術の指導をされていたそうだ。

因みに、この時の彼の給与は、総理大臣並?だったそうで
いろいろ問題にもなったようだ。

ブリュナ館のテラス?
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とてもおしゃれな建物です。
造りは柱の間にレンガを積む建て方。
この建て方は、繭倉庫などと同じ建て方だ。

ガイドさんの話しによると、
操業を始めるにあたり、工女を募集したが
一人として集まらなかったそうだ。

その理由は、フランス人はワインを飲む。
このブリュナ館の地下にもワイン蔵があるほど。

このワインを飲むと言う事が、集まらない理由のようだ。
 
赤ワイン=人間の血

 フランス人は人間の血を飲む!と言う噂が広まり、誰一人として集まらなかったようだ。しかし、ここの勤務は、食事や医療費は会社持ち。
労働時間は8時間、週休1日。夏冬には10日間の休みもあったそうで、
現代としては当たり前の事だが、当時としては異常な厚遇だったようだ。
 また、ここで働き技術を身に着けて国に帰り技術を広めるという名誉もあったので士族の娘なども多く、富岡乙女と呼ばれ、あこがれの職場だったようだ。  (ガイドツアーでのお話)



ここが工女の寄宿舎
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広場
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寄宿舎とブリュナ館の前の広場
この向こう側が川でした。 
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ブリュナ館まで案内をして頂き、ガイドツアーは終わりです。
ガイドさんに感謝申し上げ帰路に着きます。

帰る途中の道にあったマンホール
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ぶどう柄ですね。
えっ・・・  群馬でぶどう?
調べてみたら、榛東村ぶどう郷と言う所があるらしい。
マンホールは、いろいろな発見がありますね(笑)

こちらは富岡製糸場の柄です。
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中程の丸いのはお爺さんと子供の顔でしょうか?
その下にレンガですね。

上州富岡駅前の建物
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もしかすると富岡製糸場と同じくらいの年数を経ているかも。
繭に関係していたのかもしれないな~と思い写真を撮りました。

街を歩いていると古い建物があちこちにありました。
 
その中でひときわ目立つ新しい駅舎
上州富岡駅
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上信電鉄の電車
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電車も新しいようです。
32年ぶりの新型車両 7000形
側面に書かれている絵は、下の方がレンガ?
もしかすると富岡製糸場のイメージか・・・

調べてみると

上信電鉄が32年ぶりに導入した新車両に、高崎高校の生徒がデザインした絵柄が、上州富岡駅の新駅舎完成式にあわせて3月17日に披露されます。
デザインは応募のあった7案から乗客の投票で高崎高校鉄道研究部の案選ばれたという。「上」の字を組み合わせた大きな車輪のような上信電鉄のマークやれんがの絵からなるという。清流や紅葉のなかを走る上信電鉄と富岡製糸場を表現したという。  朝日新聞デジタル2014年3月9日より


駅舎も新しくなったようです。
駅舎も今年3月17日に新しくなり、そのお披露目もあったようです。
富岡製糸場が世界遺産登録になった事で、この町全体が活気づいているように感じられました。

電車の絵柄の事と、駅舎完成のニュースが乗っていたHPがありました。
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こちらが駅舎完成式の様子
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ブームの物は昔から避けて通るひねくれた性格の私(苦笑)なので
当分は行かない!と思っていた富岡製糸場。

その製糸場に寄る事になったのだが、
平日で朝早かったからか?、
歴史建造物と言う事だからか?
思ったより快適に見て歩くことが出来ました。

また、ボランティア・ガイドツアーのお蔭で、
その歴史を聴くことが出来、
興味を持って見学することが出来ました。



帰宅後調べて目にする事実
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街全体が世界遺産登録されて、華やいだ雰囲気に包まれていました。
駅舎や電車の絵柄まで変わるほど(苦笑)

帰宅後、投稿のためいろいろ調べていると、
ツアーで聞いたお話以外の事も目に入って来ました。

例えば・・・

官営では経営が成り立たず民間に払い下げられたため、
あこがれの職場は一変したようです。

経営を無視した官運営の「理想の職場」は、
利益優先の民営となり、大変になったようです。
 
ここはまだましだったようです。
 
他の製糸工場では、給与は当時のアジア圏と比べても安く、
労働時間も、昼夜二交代制の長時間となったりと、
大変つらい仕事とだったようです。

健康ならまだしも、健康を害し病に倒れる人も多くいたようだ。

この酷い状態がいつまで続いたかは不明ですが、
このような苦労に耐えて働いていた方達の努力が、
今の日本の基盤となっているのでは
・・・と思うと、涙が!出てきます。
 
ここには、最後まで診療所も工場内にあったりと、
厳しいながらも恵まれていたのでしょう。


世界遺産登録になった事をきっかけに、
当時の働く人達の負の部分も含めて、大切にする!
と言うことかな~?


もっともっと、
心の目を広げなくてはいけないな~と自戒する私です。
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ともあれ、
今回の世界遺産となった富岡製糸場は、
得ることが多い見学となりました。

富岡製糸場の事が、まだまだご紹介しきれませんが、
富岡製糸場のHPを隈なく見るだけも何か発見できるかもパー

富岡製糸場のHPには、
ガイドさんの説明内容も紹介されていました。
私も振り返りながら、ゆっくり読んでみようと思います。


帰宅後、いろいろ調べていたら興味深いサイトもありました。
富岡製糸場の歴史にご興味ある方にはお勧めです。

ご紹介します。
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最後までお付合い有難う御座いました。